R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

感慨深い週末

あわただしい週末だった
土曜は先に書いた菅原邸にお呼ばれのあと、妻の両親と姉さん家族が病院に面会。
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子供たち3人は赤ちゃんを見て大興奮。
お姉さんも「また赤ちゃん欲しくなっちゃった」って、4人目いっちゃう?

日曜朝は上の住人のJさんとランニング。
Jさんは父上がジャマイカ人、母上が日本人で横浜生まれアメリカ育ち。
スキンヘッドでウェズリー・スナイプスかビリー隊長に似た、ナイスガイ
日本語は私より流暢でホントきれい....
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ビリー隊長、
コワモテの顔とていねいな日本語のギャップが受けて、戸越銀座ではちょい有名人

うちは1階が事務所、2階が自宅、3,4階が賃貸になっていて、住んでいるのはなぜかみんな知り合いばかりの、まるで「めぞん一刻」状態...


自宅から多摩川河川敷を走って、目黒通りを回って帰るいつものコース。
途中、妻の好物「ちもと」でお餅を買って、
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ランニング用に紙袋でなく小さくビニール袋にまとめてもらい、Jさんとゆっくりおしゃべりしながらランニング。

でもやっぱりペースが上がってしまい、15キロ走ったころはけっこう足にきてる....
日曜は天気も悪そうだし、やっぱり品川折り返しまでかなぁ.....

月曜は前にデュークを買ったS君がお祝いに来てくれた。
偶然にも同じタイミングで、GS乗りKさんも仕事帰りに寄ってくれた。
Kさんも去年640EDを買って、二人ともモンドモトのお客さんということで、初対面ながら話も盛り上がり。
二人とも忙しいところ来てくれてアリガト♪

Kさんにいただいた娘へのお祝いを持って病院へ
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ティファニーの銀のスプーン 「アタチがもらったんだからね」
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「アタチ、これくわえて産まれてきたの」、ってワケないか。

うちのマリアンヌ、やっと目を開いたと思ったらずいぶん細い(ヤバイ、完全に父親似だ...)
子役で芸能界にでももぐりこませようかと思ってたけど、予定変更して体育会系でオリンピックか、プロゴルファーにして左うちわ、なんて思っても、口が裂けても妻には言えない....

夕方にはなにやら大きな箱が届き。
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開けるとこんなバルーンが
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「baby!!」
出産祝いに菅原じーじ&ママからのプレゼント、ありがとうございます


月曜夜はテレビで「突撃せよ、あさま山荘事件」を観賞。
子供のころ地元だったので、事件の模様をテレビで生中継していた。
授業中に先生と教室でテレビかじりつきで見ていたのを思い出す。

昔からお世話になっているO爺さんは、昔、K察庁時代、佐々さんの部下で「あさま山荘事件」の現場にいたそう(この映画にも実名で出ている)。

東大紛争や連合赤軍よど号ハイジャック、金大中拉致事件などなどの現場で、今では想像を絶する体験をたくさんしたそう(Oさんが酔っぱらったときいろいろ聞いたけど、ほとんど「国家機密」でとてもここには書けない...)

定年後にOさんが始めた事務所に遊びに行くと、いつも見せられたのが三島由紀夫の「首」の写真。
あのとき自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室の前で、Oさんらは立てこもる三島を必死で説得していたそう。

結局、割腹自殺して弟子に「介錯」させたけど、「不慣れな」弟子はなかなか日本刀で三島の首が切れず、部屋の外にまで刀が首に当たるにぶい音と、「早く切れ!」って三島の断末魔が聞こえたそう。

彼が撮った写真には、あまりの苦痛に自分で舌を噛み切ろうとした、三島の「苦悶の」表情の首が写っていた(子供のころたしか「アサヒグラフ」でも首写真が掲載されていて、子供心に驚いたなぁ)。

Oさんがもう一枚見せてくれたのが、右翼が自決して介錯された「首の」写真で、「スパッ」と一発で落ちているその首は、笑っている風にも見える、なんとも「幸せそうな」表情をしていたのが、あまりに対照的で今でも目に焼き付いている。

映画を観て懐かしくなり、今日ひさびさにそのOさんに連絡してみた。
先月に藤田まことと同じ「大動脈瘤破裂」で入院して、一命を取り留めたとか(知らなかった....)。
まだ自宅で療養中とのことだけど、ここにも不死身のオヤジがいた

いまだに浅間で殉職した同僚を偲ぶ会を毎年やっていて、遺された遺族の生活や就職の世話も焼いていて、遺児の娘さんを桜田門関係の人と縁組みしたりしているそう。

子供が産まれた話をしたら、「来月、元気になったら飲もうや」って誘われた。
酔っぱらうと「いいやつはみんな先に死んじまった」っていつも言うけど、Oさんは例外だからまだまだ元気でいてほしい。

今日のブログ、カテゴリーは「家庭と育児」のはずが、ずいぶん血なまぐさい話になってスンマセン。

でもOさんら先人がいたからこそ、この国が今、なにごともなく平和で暮らせていることを、娘が産まれてみて「しみじみ」実感している。