8月10日(土)は父の弟のTおじさんの一周忌。
今年は父が亡くなり母もまだ入院中のため、私が代表で参加することになり9日の夜に帰省した。
13日は父の新盆があるので、妻も1週間休みをもらえたが、一周忌に参加するのは私だけなので、義母と義姉の子供たちが滞在している蓼科の家に、義父の運転で連れて行ってもらい、13日に私が迎えに行くことにした。
連休前の金曜夜なので渋滞するかと思ったが、夜9時過ぎに出発したところ意外に首都高は流れていた。
関越から上信越道に入り、横川SAでトイレ休憩した
いつのまにかトイレが最新型になっていて、まるでホテルのよう。
「次の人のために水を流す」習慣がないどこかの国と違い、日本のトイレはいつもきれい。
こんなときこの国に産まれてよかったと、しみじみ思う。
深夜一時、誰もいない真っ暗な実家に到着。
同じく9時に出た妻は、ひと足先に蓼科に着いたとメールがあった。
仏壇に火を灯し、父とご先祖様に到着したことを報告
一人ビールで乾杯し、窓を開けて寝たら明け方に寒くて目が覚めた。
菊作りの名人だったおじさんは品評会で何度も優勝し、地元ではかなりの有名人。
手先も器用で壊れたビデオデッキのモーターを使い、ミニチュアの水車小屋など「からくり屋敷」を作って、役所や企業、旅館などいろいろなところに飾られていた。
自宅で一周忌法要を済ませたあと、車に分乗して菅平のふもとにある、「湯っ蔵んど」という公共温泉内の懐石料理屋を貸し切って、食事会が行われた。
若いころは親戚のおじさんおばさんがやたら酒を注ぎたがる、こういう田舎の飲み会が大嫌いだったが、
次は生きて会えるのか分からない親戚たちが妙にいとおしく、注がれるまま調子に乗って飲み過ぎた。
宴会が終わり解散かと思ったら、「帰って飲み直そう」とだれかが言いだし、またおじさんの家に戻り2次会が始まった。
さすがにもう飲めないので、おじさんの娘たちが嫁いだ農家で作っている、スイカやトウモロコシ、桃などをいただく。
おじさんに息子はおらず、おばさんもだいぶ前に亡くなっているので、ずっと一人暮らしだった。
うちと同じくこの家も住む人を失い、空き家になる。
二人の娘は実家をどうするのか、いろいろ悩んでいるらしい。
ほろ酔いかげんで自転車に乗り実家へ帰る途中、近所のスーパーで明日の朝食を買う。
子供のときから好きだった牛乳パン。
「中島の頭脳パン」というのも好きだった。
どうも気取ったクロワッサンより、この手の「甘食」が好きである。
翌日は自宅から40キロ先の野尻湖まで、自転車で行ってみた。
学生時代からバイクやクルマで何度も来て、思い出深い場所。
まさかこの歳になって自転車で来るとは思わなかった。
このまま50キロ先の上越まで行こうかとも思ったが、夕方に母の病院へ行かなければならないので、引き返すことに。
暑いのでボトルの水も飲みきり、腹も空いてきた。
帰宅してシャワーを浴びて少し横になり休憩
6時に母の病院に向かう。
病院主催の納涼祭りのため、入院しているお年寄りが看護師さんに連れられて、車いすで集合した。
和太鼓と同じで打楽器の音は、人間のDNAに響くものがあるのか、体が不自由なおじいさんおばあさんも、リズムに合わせて身体を動かす人もいた。
看護師さんや病院のスタッフが盆踊りを踊る。
こんなことでもなければおもてに出る機会もない老人たちを、なんとか元気づけようとする一生懸命さに、胸が熱くなった。
姉に車いすを押してもらい、母もひさびさに外に出た。
首から上が動かないので楽しいのか分からないが、少しでも気分転換になればいい。
免疫が足りない母は風邪でも引いたら大変なので、15分くらいしか外に出られなかったが、
楽しいひとときを過ごせたと信じたい。
翌12日は自転車で菅平へ。
ちょっと昨日の筋肉痛が残っているが、忘れたことにして出発。
実家がある町は須坂という地名の通り、山から千曲川に向かって町全体が坂になっている。
標高400mの実家の前も坂。
ここから峰の原まで25キロ、ひたすら登りである。
おととい宴会をした湯っ蔵んどの前を過ぎ、もくもくとペダルを踏んで行く。
小さいとき友達の家に遊びに行くには、当り前のように自転車で坂を上り下りしてきたが、 高校生になるとみんなペダルを漕がなくていい、バイクの免許を取った。
朝8時でももう暑いが、ボトルの水を飲みたくても、登りながらではヨロヨロしてなかなか飲めない。
途中、山の水が流れるところで休憩。
上流は鉱山なのでこの水は飲めない。
それでも手が痛いほど冷たいので、手にすくって頭からかぶると、暑さでボーっとしていたアタマがシャキッとした。
またもくもくと漕ぎだす。
菅平のダボスからここ峰の原までの、ラスト3キロが一番きつかったがなんとか到着。
前回来たのは2年前か(と思ったら3年も前だった)。
草刈りに来ていた営林署の人にお願いして、写真を撮ってもらった。
自転車クラブ「青山双輪會」のジャージを着て、自転車に乗ったのは今回が初めて。
ここまで2時間半。速いのか遅いのか(やっぱり遅いんだろうナ)
なにはともあれ腹筋と背筋の弱さを痛感した
もっと鍛えないと、ワダケンたちとは走れないなぁ
標高1500mでも日差しは暑い。
それでも汗をかいたジャージが冷たくて、思わず身震いする。
少し休憩していたらジャージも乾いたようなので、下山することに。
昨日の野尻湖もそうだったが、細いタイヤで荒れた路面を走るのは本当に命の危険を感じる。
なのでブレーキが焼けるのでは?と思うほどブレーキングしながら、ゆっくり下る(それでも30分で帰宅してしまったが)。
翌朝13日は6時に起きて迎え盆に行った。
それでも公共墓地に隣接する臨時駐車場は、すでに満車(墓地の駐車場はお盆の期間は停めさせないらしい)。
次回は6時に行かないとダメかと思ったが、あとでとなりのおばさんに聞いたら、「朝4時半でもう駐車場が満車だった」とか.....
来年は自転車で行こう。
このあと妻と娘を迎えに蓼科へ出発した。