保育園からこんな連絡が
おにぎり作りのためにエプロンを用意しろと。
わかりました
ママが使わなくなったエプロンを
ミシンでちくちく縫ったり、ハサミで切ったり
型紙もなくいつも通りのやっつけ仕事なので、長すぎて切ること数回。
100円ショップで買ったブタと娘の名前のアップリケを、アイロンで付けて。
で、作業すること1時間
ん、気に入ってくれたかな?
「かわいいよ~」って
気に入ってくれたらしい
夕方、お迎えに行ったときの掲示板
子供たちの楽しそうな様子が目に浮かぶ
先生から「エプロン、お父さんが作ったんですって?!」と。
「みんなに{ これ、パパがつくったんだよ~}って自慢してましたよ」って。
他の子供たちからも「いいな~」って、羨ましがられたそうだ。
私が子供のころはみんな親が作ってくれたものを着ていた。
母が姉のために「編み機」で編んだ、姉のイニシャル入りのセーターやベストは、
もれなく「おさがり」として私に回ってきた。
4歳違いの姉の服はいつも大きくてダブダブ。
それがこちらも背が伸びてちょうどよくなり、しまいには小さくてツンツルテンになるまで、破れ目に継ぎ当てしては、ボロボロになるまで着させられた。
日本の消費には貢献できなかったが、モノを大事にした時代。
菅原じ~じがふだん着ている、穴があいてボロボロになった、20年以上前のパリダカTシャツを見るたび、「この人もモノを大事にしてるんだな」と感心させられる。
最初は赤いセーターが何百回も洗濯して色が抜け、しまいにはピンクやオレンジに色あせてしまったが(いわきの仲間たちのXRタンクみたいに)、使い込んでカラダになじんだものは、なかなか捨てられなかった。
量販店に行けば自分で作るより安くてお洒落なものが、いくらでも手に入る世の中。
スーパーやコンビニでも、手の込んだおかずが並んでいて、忙しい人には本当に便利な時代だが、そこに「おふくろの味」は無い。
親が作ってくれたものが一番好きなのは、いつの時代も同じ。
洋服も食事もひと手間かけるだけで、喜んでくれる顔も違うと私は信じたい。
ミシンの糸調子がうまく合わないので、生地の裏を見るとバラバラ。
シロート丸出しだが、子供の思い出にそんなことは関係ない。
(今度、マックスフリッツのS社長に、ミシン持って行って相談しよう)
結局サマードレスも作らなかったが、これからの秋冬に向けて、またなにかにチャレンジしてみようか。
少しづつお手伝いもできて、お風呂そうじも「やる~」って。
まだシャボン玉と遊んでいる時間のほうが、多いのはご愛きょう。
去年作ったケープも喜んで着てくれてるし(まだ外は早いので、家の中だけ)
朝の保育園の送りでは、本当に娘と別れがたくて毎日ギューって抱きしめる。
するとあっというまに「ぼくも」「わたしも」って、他の子たちに取り囲まれる。
みんな可愛くて抱っこしていると、あっというまに時間が経ってしまい、
「お仕事行かなくていいんですか?」と、先生方に呆れられる。
でも「この子を抱きしめられるのは、あとどれくらいだろう?」なんて、
歳とってくると思うもの。
おじいちゃんが孫を可愛いと思うのと、たぶん同じなんだろうナ