9年前の東日本大震災のとき娘は1歳。
なのでなんの記憶もない。
テレビで津波の映像が流れても、{どこか遠い国の出来事}だと思っている。
被害に遭わなかった子供はみんなこんな感じで、娘の友だちに聞いても
「あっ、テレビで見たことある~」
って程度が現実らしい。
災害ボランティアに行きたかったが、まだ子供が小さくて結局行けなかった。
幸か不幸かコロナの影響で学校も塾もお休み、
今なら娘に東北を見せられると思い立ち、3月11日から2泊3日で「みちのくふたり旅」に行ってきた。
年イチでササキさんと「いわき詣で」に行くとき、必ず立ち寄る「日立中央PA」で休憩。
当初の予定ではいわきの大和モーター商会に寄って、社長さんにご挨拶してから、津波で被災した富岡駅を娘に見せようと思ったが、いわきのオオトモ先生に電話で聞いたら
「もう富岡駅は建て替えましたよ」
って!?
聞けば14日には被災した富岡~浪江間が復旧し、常磐線が全線開通したとか。
2泊3日の強行軍ではいわきに立ち寄ると、宮城、岩手まで回れそうにない。
申し訳ないがいわきは飛ばして常磐道を北上する。
と、カーナビが富岡から先の高速道路を表示せず、なにもない山のなかを走っている??
目的地を仙台にしたのでナビの矢印は北を差しているが、だんだん不安になる。
「楢葉」や「広野」など原発事故のニュースで、よく聞いた地名が出てきて、
放射能数値を表示する看板が見えると、それまで高速でも窓を全開にしていた娘が
「パパ、窓しめて!!」
ってすごい形相で叫んでいる。
1マイクロシーベルト以下なんだから大丈夫だよ
といっても、
「だめ~!!」
って。
子供なりに放射能の怖さを学校で習ったらしい。
実は私自身、富岡より北は初めてで、宮城も初めて。
なのでほんとうに仙台に辿り着けるか、正直不安だった。
東北の地図といえばツーリングマップルしか持っていない
(しかも2000年版、ふる!)
表紙はさすらいライダーのカソリさんだしw
そしてなんとか南相馬SAに到着
焼きそばが名物らしいが、当然ラーメンをいただく。
ここで高速道路地図を確認し、目的地を名取市の「閖上(ゆりあげ)地区」に変更した。
9年前の3月11日、夜のニュースで
「ゆりあげの河口にたくさんの人とおぼしきものが漂着しています!」
と、アナウンサーが話していたのがずっと耳に残っていたから。
「門」という字のなかに「水」と書いて閖上とは、なにか因縁めいたものを感じるが、閖上が近づくにつれて「更地」と、たくさんの「新しい家」が見えてきた。
慰霊碑の前には大勢の人が訪れていた。
献花の菊が配られていた。
この慰霊碑は高さ9m以上で、この高さまで津波が来たことを物語っているらしい。
夜はライトアップされるだろうたくさんの灯篭には、亡くなった人への追悼の言葉が。
強風とザーッと雨が降ったあとには、虹も出た。
「亡くなったみんなが空から見ているよ」
誰かが話していた。
町ひとつが完全に消滅した場所は、広大な更地になっていた。
とりあえず今夜の宿を探さなければ。
どこまで行けるかわからなかったので、宿も事前に決めていない。
ぶっつけ本番旅よろしく、生来のノー天気ゆえ
「まぁなんとかなるだろう」
「だめなら寝袋で車中泊かな」
って。
仙台によく行くササキさんに電話で聞いてみると
「トリバゴとかで調べれば」
と言われたが、トリバゴってなに?(^-^;
明日は石巻の大川小学校を訪ねて、あさっては岩手にも行きたい旨を伝えると、仙台に戻るより北上して、石巻に泊まったほうがいいかも?とのこと。
ということで高速で石巻へ
ちょうど観光案内所があったので、飛び込みで宿がないか聞いてみた。
携帯も通じない山のなかに「追分温泉」というのがあって、ちょうど大川小学校の前を通るというので、連絡してもらう。
が、すでに夕方だったので準備が間に合わないとのこと(そりゃそうだ)。
で、次に紹介されたのがここ
石巻駅から徒歩9分の住宅街に建つ、ビジネスホテルというより「B&B(Bed&Breakfast)という感じ。
ホテルだと思っていた娘は
「パパ、ここだいじょうぶ?」
って。
正直私もドキドキしたが、これが大正解。
なんとも居心地のいい空間だった。
オーナーに
「津波は来たんですか?」
と聞くと
「大人の背丈くらいまで水が来た」そう
「裏山に登ればわかりますよ」
と震災の写真集を渡されて、高さ20mくらいの高台に登ると
すぐ裏は北上川
海から数キロ離れているが、旧北上川をさかのぼってきた津波に、遠くに見える橋が水没したらしい。
この高台にも近所の住民が40人ほど避難して、雪の降る寒い中、身を寄せ合ってひと晩過ごしたそう。
太平洋岸の東北では、どこにいってもこの光景が目に入る。
道路が突然なくなって護岸の工事中
写真と同じ場所で
9年前はこの静かな住宅街も、写真のように大洪水に呑まれた。
ツインは2名9000円のところ、子供は半額とかで、
4500円+2250円+税=7525円と、チョー格安で本当にありがたい。
晩ごはんはホテルでもらったグルメマップに載っていた、「イタリア風?」居酒屋へ。
店構えが普通の家だったので、ちょっと入るのに勇気が要ったが、ここもよかった。
59歳の女将さんと71歳のご主人ふたりで経営しているそう。
でも娘は席に着くたび小声で
「パパ、このお店3人でやってるの?」
って。
ガリガリに痩せて髪の長いお兄さんが、厨房の奥に立っているらしい。
せまい厨房(失礼)を覗いてみてもふたりだけ。
ねんのため女将さんに聞いてみると
「いつもはふたりだけど、今日(3月11日)だから、だれか来ちゃったのかもね」
って(^-^;
さいわいご夫婦は高台の自宅で無事だったそうだが、このあたりも
「背丈くらいの津波が来た」
そうで、ホテルからお店まで200mのあいだに、空き地が目立った。
津波で営業を断念したお店がたくさんあって、亡くなった人も多いとか。
私も子供のころ神社の鳥居の上に、「人」が座っているのが見えたり、実家の上空に来たUFOと会話していた記憶があるので、娘にも見えるのかもしれない。
せっかく石巻に来たら普通は海の幸を食べるのだろうが、娘は焼き魚しか食べないし、私もそれほど魚は食べない。
なので娘はグラタン、私はハンバーグをいただく。
身内は全員無事だったらしいが、閖上でもホテルでもここでも、みんな誰か身内や知り合いが亡くなっている。
店内には静かにジャズが流れていたが、
そうか、店名のミスティはエロールガーナーの「misty」だったのか
と食べ終わって外に出て気づいた(いろんな人がカバーしてるけど、私はシナトラ親分が好き)
石ノ森漫画館はコロナで閉館中だが、街のあちこちにキャラクターが立っている
娘はサイボーグ009も仮面ライダーも知らないが、再開したらいつか見せてやりたい。
そして翌12日は大勢の児童が亡くなった大川小学校へ part2へ続きます