R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

3.11みちのくふたり旅 par1

9年前の東日本大震災のとき娘は1歳。

なのでなんの記憶もない。

テレビで津波の映像が流れても、{どこか遠い国の出来事}だと思っている。

被害に遭わなかった子供はみんなこんな感じで、娘の友だちに聞いても

「あっ、テレビで見たことある~」

って程度が現実らしい。

災害ボランティアに行きたかったが、まだ子供が小さくて結局行けなかった。

幸か不幸かコロナの影響で学校も塾もお休み、

今なら娘に東北を見せられると思い立ち、3月11日から2泊3日で「みちのくふたり旅」に行ってきた。

 

年イチでササキさんと「いわき詣で」に行くとき、必ず立ち寄る「日立中央PA」で休憩。

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当初の予定ではいわきの大和モーター商会に寄って、社長さんにご挨拶してから、津波で被災した富岡駅を娘に見せようと思ったが、いわきのオオトモ先生に電話で聞いたら

「もう富岡駅は建て替えましたよ」

って!?

聞けば14日には被災した富岡~浪江間が復旧し、常磐線が全線開通したとか。

 

2泊3日の強行軍ではいわきに立ち寄ると、宮城、岩手まで回れそうにない。

申し訳ないがいわきは飛ばして常磐道を北上する。

と、カーナビが富岡から先の高速道路を表示せず、なにもない山のなかを走っている??

目的地を仙台にしたのでナビの矢印は北を差しているが、だんだん不安になる。

「楢葉」や「広野」など原発事故のニュースで、よく聞いた地名が出てきて、

放射能数値を表示する看板が見えると、それまで高速でも窓を全開にしていた娘が

「パパ、窓しめて!!」

ってすごい形相で叫んでいる。

マイクロシーベルト以下なんだから大丈夫だよ

といっても、

「だめ~!!」

って。

子供なりに放射能の怖さを学校で習ったらしい。

実は私自身、富岡より北は初めてで、宮城も初めて。

なのでほんとうに仙台に辿り着けるか、正直不安だった。

 

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東北の地図といえばツーリングマップルしか持っていない

(しかも2000年版、ふる!)

 

表紙はさすらいライダーのカソリさんだしw

 

そしてなんとか南相馬SAに到着

 

焼きそばが名物らしいが、当然ラーメンをいただく。

 

ここで高速道路地図を確認し、目的地を名取市の「閖上(ゆりあげ)地区」に変更した。

9年前の3月11日、夜のニュースで

「ゆりあげの河口にたくさんの人とおぼしきものが漂着しています!」

と、アナウンサーが話していたのがずっと耳に残っていたから。

「門」という字のなかに「水」と書いて閖上とは、なにか因縁めいたものを感じるが、閖上が近づくにつれて「更地」と、たくさんの「新しい家」が見えてきた。

 

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慰霊碑の前には大勢の人が訪れていた。

 

献花の菊が配られていた。

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閖上だけで1000人近い人が津波で亡くなっている。

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この慰霊碑は高さ9m以上で、この高さまで津波が来たことを物語っているらしい。

 

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夜はライトアップされるだろうたくさんの灯篭には、亡くなった人への追悼の言葉が。

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強風とザーッと雨が降ったあとには、虹も出た。

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「亡くなったみんなが空から見ているよ」

誰かが話していた。

 

町ひとつが完全に消滅した場所は、広大な更地になっていた。

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とりあえず今夜の宿を探さなければ。

どこまで行けるかわからなかったので、宿も事前に決めていない。

ぶっつけ本番旅よろしく、生来のノー天気ゆえ

「まぁなんとかなるだろう」

「だめなら寝袋で車中泊かな」

って。

仙台によく行くササキさんに電話で聞いてみると

トリバゴとかで調べれば」

と言われたが、トリバゴってなに?(^-^;

 

明日は石巻の大川小学校を訪ねて、あさっては岩手にも行きたい旨を伝えると、仙台に戻るより北上して、石巻に泊まったほうがいいかも?とのこと。

ということで高速で石巻

 

ちょうど観光案内所があったので、飛び込みで宿がないか聞いてみた。

 

携帯も通じない山のなかに「追分温泉」というのがあって、ちょうど大川小学校の前を通るというので、連絡してもらう。

が、すでに夕方だったので準備が間に合わないとのこと(そりゃそうだ)。

で、次に紹介されたのがここ

 

石巻駅から徒歩9分の住宅街に建つ、ビジネスホテルというより「B&B(Bed&Breakfast)という感じ。

ホテルだと思っていた娘は

「パパ、ここだいじょうぶ?」

って。

正直私もドキドキしたが、これが大正解。

なんとも居心地のいい空間だった。

泊った人の感想はこちら

オーナーに

津波は来たんですか?」

と聞くと

「大人の背丈くらいまで水が来た」そう

 

「裏山に登ればわかりますよ」

と震災の写真集を渡されて、高さ20mくらいの高台に登ると

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すぐ裏は北上川

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海から数キロ離れているが、旧北上川をさかのぼってきた津波に、遠くに見える橋が水没したらしい。

この高台にも近所の住民が40人ほど避難して、雪の降る寒い中、身を寄せ合ってひと晩過ごしたそう。

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太平洋岸の東北では、どこにいってもこの光景が目に入る。

道路が突然なくなって護岸の工事中

 

 

写真と同じ場所で

9年前はこの静かな住宅街も、写真のように大洪水に呑まれた。

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ツインは2名9000円のところ、子供は半額とかで、

4500円+2250円+税=7525円と、チョー格安で本当にありがたい。

晩ごはんはホテルでもらったグルメマップに載っていた、「イタリア風?」居酒屋へ。

店構えが普通の家だったので、ちょっと入るのに勇気が要ったが、ここもよかった。

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59歳の女将さんと71歳のご主人ふたりで経営しているそう。

でも娘は席に着くたび小声で

「パパ、このお店3人でやってるの?」

って。

ガリガリに痩せて髪の長いお兄さんが、厨房の奥に立っているらしい。

せまい厨房(失礼)を覗いてみてもふたりだけ。

ねんのため女将さんに聞いてみると

「いつもはふたりだけど、今日(3月11日)だから、だれか来ちゃったのかもね」

って(^-^;

さいわいご夫婦は高台の自宅で無事だったそうだが、このあたりも

「背丈くらいの津波が来た」

そうで、ホテルからお店まで200mのあいだに、空き地が目立った。

津波で営業を断念したお店がたくさんあって、亡くなった人も多いとか。

 

私も子供のころ神社の鳥居の上に、「人」が座っているのが見えたり、実家の上空に来たUFOと会話していた記憶があるので、娘にも見えるのかもしれない。

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せっかく石巻に来たら普通は海の幸を食べるのだろうが、娘は焼き魚しか食べないし、私もそれほど魚は食べない。

なので娘はグラタン、私はハンバーグをいただく。

身内は全員無事だったらしいが、閖上でもホテルでもここでも、みんな誰か身内や知り合いが亡くなっている。

 

店内には静かにジャズが流れていたが、

そうか、店名のミスティはエロールガーナーの「misty」だったのか

と食べ終わって外に出て気づいた(いろんな人がカバーしてるけど、私はシナトラ親分が好き)

 

石巻は漫画家「石ノ森章太郎」の出身地

石ノ森漫画館はコロナで閉館中だが、街のあちこちにキャラクターが立っている

 

娘はサイボーグ009仮面ライダーも知らないが、再開したらいつか見せてやりたい。

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そして翌12日は大勢の児童が亡くなった大川小学校へ part2へ続きます