R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

壮大な大人の砂遊び

 
結果はすでに報道されているので、ここでは私の感じたことを。
 
二輪は「いい人」、KTMの丸く駒、もといマルク・コマが、下馬評どおり優勝した。
トラブル続きのホンダは2位に食い込み、来年に期待をつないだ模様。
 
ホンダもKTMもマシンやライダーの差は、きっともう無いんだろう。
それでもKTMが強いのは、ホンダがパリダカ撤退後もずっとレースを続けていた、「経験の差」が大きいんじゃないか(あくまで個人の見解です)。
F1のフェラーリと同じく、「レースがマシン開発の場」と考えるメーカーと、レースを販売のための宣伝と考えるメーカーには、埋めがたい差があるはず。
 
それでもメーカーがレース参戦するには、莫大な予算がかかる。
KTMやフェラーリのように、一部マニアのためのクルマやバイクを作るのと違い、ホンダならカブからF1まで、トヨタなら軽からF1までやらなければならないメーカーとでは、つぎ込める予算にも限界があるし、結果が出なくなれば撤退もやむを得ない。
 
それでも世界に名だたる自動車立国だし、昔の若者はそれを見てクルマやバイクに熱中した。
ホンダやトヨタ車体日野自動車など、前向きなだけマシ。
三菱や日産、ヤマハやスズキ、スバルなんかも一度チャレンジしてほしい。
 
たとえ宣伝でもいいのでメーカーには、レースを続ける責任があるのではないか(個人の見解です)。
 
去年、世界一クルマを売ったというトヨタも、ダカールには子会社しか出ていない。
今年はフォルクスワーゲンに世界一の牙城を明け渡すのでは?と言われているなら、まだまだ伸びしろのある南米市場を目指して、本家トヨタワークスの参戦を期待したい。
 
スウエーデンのベルグランド兄弟は、3人とも完走した。
長男ミカエルが私と同じ53歳で67位、
次男アンダースは50歳で74位、
他の二人がKTMで参加のところを、彼だけはフサベルでスウエーデン人のこだわりを見せたか。
三男トーマス45歳が23位と大健闘。
 
日本と同じくスウエーデンからも南米ははるか彼方で、参加するのも大変。
このおやじたちのチャレンジに拍手を送りたい。
 
2月にミッケがまた仕事で来日するという。
彼らはミッケの友人なので、私もスウエーデン4デイズに参加したとき、彼らと走っているらしい(毎日いっぱいいっぱいで、そんな余裕はなかった)
ミッケにまた逢えたら彼らに乾杯して、盛り上がりたい。
 
四輪はまたミニが優勝。
リザルトを見ても本当にミニが多いが、10年前、だれが砂漠を走るミニを予想しただろうか。
あいかわらずミニのディーラーは、ダカールの「ダ」の字もないのか
と思ってホームページを見たがやっぱり載っていない。
 
念のため最新ニュースを見たら、なんとダカール特集が組まれていた。
 
でもやっぱり「都会的でオサレなクルマ」として、売りたいんだろうなぁ(モッタイナイ)。
もっと「レッドブルコラボモデル」とか「ミニ・エボリューション」とか売りに出したら、けっこう売れると思うのだが。
 
「台風の目」と騒がれたプジョーは、ミニから転向したペテランセルが、11位と健闘したが、2輪から転向したデプレは34位と、二人とも不満が残る結果だろう。
(私もプジョーがワンツーフィニッシュする姿を、ひそかに思い描いていたひとり)
 
それでも「おフランス人」が「おフランスのクルマ」に乗って優勝するのが、ダカールラリーでは意味が大きいと思うので(大嫌いな英国になんて勝って欲しくないハズ)、来年こそ優勝してほしい。
 
目下パリ中の不動産を買い占めているという、中東の金持ち国カタール
カタール人のアルアティアが優勝しても、フランス人はきっとうれしくないんだろうナ。
 
大好きな「ミスター・バハ」・ロビー・ゴードン&ジョニー・キャンベル組は19位。
来年こそ(優勝しなくてもいいから)派手なパフォーマンスで、優勝争いに絡んで欲しい。
 
それにしてもずっと彼をサポートしている、「トーヨータイヤ」は立派のひとこと。
日本では宣伝力でブリジストンや他のメーカーに差をつけられているが、こういうメーカーがもっと売れてほしい。
 
チームスガワラはテルちゃんが、10L未満クラス6連覇の偉業を達成。
 
もう「スガワラJr」ではなく、立派なダカールドライバーだろう。
 
じ~じもがんばってクラスワンツーフィニッシュ。
ジャンプの葛西選手もレジェンドだが、このダカールラリー最高齢のおじいちゃんこそ、本当のレジェンドだろう。
勝つのが当たり前と思われているゆえのプレッシャーも相当なはず。
真夏の暑さや高山病にも苦労したはずだが、若林ナビの「女子力パワー」で100馬力アップして(グロンサンも飲んで?)、見事に乗り切った(オジイチャン、アンタハエライ)
 
ゴールしても「あさチャン」にちょっと取り上げられたくらいで、
イメージ 1
 
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解説するわ縦アナウンサーがダカールも知らないのも、時代の流れか。
 
愛読する産経新聞には一行も掲載されなかった。
 
アジアカップといいながらほとんどが中東の、満足な練習もできない貧しい国相手に、やっとの思いで勝つサッカーは大々的に取り上げるのに、クルマの輸出が主要産業のはずのこの国は、地球の裏側で命がけでレース(宣伝)してきた人たちに、賞賛の言葉もない........。
 
ゴールにはスガワラママや家族、孫のK美ちゃんの姿も。
こんなことでもなければなかなか行けない、地球の裏側ブエノスアイレス
タンゴでも踊って楽しんできてください。
 
トヨタの三橋選手はこちらも市販車クラス2連覇を達成
いろいろあってレースは自粛するという三橋君だが、2輪4輪とダカール経験豊かなベテラン。
来年は海外チームから声がかからないものか。
 
自身もパリダカを走った経験者のインプレは、臨場感が伝わってきた。
(50歳なんてまだ若いし、海外選手はおじいちゃんばかりなので、M井さんならもう一回、行けるんじゃないかナ?)
 
夜のイキケ。ステージ6を終え、レストデイを過ごしたライダー達は後半に二つ用意されたマラソンステージの一つ目、ウユニ往復へと向かいました。ボリビアの悪路とプレスカーの装備の関係でイキケに4泊する事になったのですが、この日はドラマチックでした。
 HRCは電気系にトラブルを抱え総合トップのバレダが後退。KTMも2名のライダーが不調を起こし、リタイア。どうやらウユニ塩湖に降った雨による塩害、との情報も。ライダー達がウユニに向かうその日、オートは一足先にマラソンステージを終え、無事に帰着。その後、ウユニに雨が降り、このようなどんでん返しが起こることに。

 ジョアン、エルダー、そしてヘレミアスはなんとか助け合いビバークに戻った時、夕刻のチェックポイントで見せた疲労の顔は忘れられません。

 この日、遅く、イキケ名物、大砂丘からのダウンヒルを走るライダー達のヘッドライト。まるで星のようですが、それがゆっくり、ゆっくり降りてきます。ジーンとくる瞬間でした。
星のように見えるのは、ダカール名物「イキケのダウンヒル」を下ってくる、ライダーたちのヘッドライト。
M井さんもビバークでこの光景を見て、「じーんときた」そう。
 
真っ暗な闇のなかを1キロ以上、眼下に見えるビバークに向かう激坂下りは、空から落ちていくような錯覚を、覚えるんじゃないか。
 
「目の前に突然クレバスでも現れたら.....」
昼間ならロビーゴードンのように、200km/hで駆け降りてこれるところも、外灯もない漆黒の闇のなか、ソロソロと降りるだけでも生きた心地がしないはず。
でもフツーに生きていたら、絶対に味わえない世界。
ある意味うらやましい。
(M井さん、転載をお許しください)
 
2009年、レースの場がアフリカから南米に移って6年。
あのままアフリカで競技を続けていたら、北アフリカで猛威を振るうエボラ出血熱や、イスラム系のテロがますます盛んになり、大変なことになっただろう。
南米に移ったことで各メーカーの、車の売れ行きも右肩上がりとか。
 
そんななかニュースにならないが、今年も「africa eco race2015」が開催されている。
 
パリダカ初の2輪4輪優勝者で、長年オーガナイザーも務めたムッシュー・ユベール・オリオールが、袂を分かったパリダカに対抗して始めたもの。
 
スプリントレースのダカールラリーと違い、こちらはパリダカの伝統を継承すべく、フランスからモロッコモーリタニアを経由して、おなじみのダカールの海岸にゴールする。
 
南アフリカ出身のオリオールは、アフリカにも広い人脈を持つという。
彼でなければ政情不安のアフリカで、レースをするのは困難だったはず。
 
なにより「わが道を行く」フランス人にとって、アフリカは「庭」
テロもエボラも関係ないのだろう。
 
9000km全開のスプリントレース、ダカールラリーに対して、こちらは初期のパリダカを彷彿とさせるようなコース設定で、古き良きパリダカを懐かしむ人の、郷愁を誘う。
 
 
壮大な「大人の砂遊び」に参加した世界中のみなさん、
社会復帰してもしばらくは、何度洗っても体中の穴という穴から砂が出てきて、しばらくはいやでもダカールの余韻に浸れるはず。
 
なにはともあれ本当におつかれさまでした。