新しい事務所の本棚は、こんなアイアンシェルフを作りたい。
家庭用の溶接機を買おうと思い、じ~じにどれがおススメか聞こうと電話したら、
「今まで100Ⅴの溶接機、何台も買ったけどうまくくっつかないよ。御殿場に来れば業務用があるからいらっしゃい」
とのことで、先々週の日曜にGSでお邪魔した。
東名の右ルートが事故で大渋滞。
下り線の左ルートが長期工事で通行止めだったのも、渋滞に拍車をかけたらしい。
最近はすり抜けも疲れるので、速そうなライダーに追い越させて、そのあとを距離を置いて走る。
緩いカーブが続く区間で、路肩にバイクを停めたライダーと、警察の高速隊員が話をしていた。
「なんだ、たいした事故じゃなかったんだ」
と思ったその先に、ホンダっぽいレーサーが横転して、カウルがもげて飛んでいた。
その先にはフロントガラスが割れて、フロントまわりが大破したクルマが停まっていた。
どんなぶつかり方をしたのかな?と不思議だったが、テレビニュースでやっていた。
無理な追い越しを繰り返したクルマが、バイクに追突したらしい。
私が見たライダーは一緒にツーリングしていた仲間だったのかな?
うしろから速いクルマが来たら、すぐ道を譲るようにしているが、ライダーは避けきれなかったのか、それとも譲らずに競走したのか?
ぶつかってもおたがい痛いだけ。
くれぐれも気を付けて。
そして昼前に到着
おっ、キャンピングカーが塗装されて、きれいになってる。
アフリカエコレースのナビの増田まみさん、
お父さんが塗装屋さんとかで、キャンパーの再塗装をお願いしたそう。
以前は「冷凍車」なんてバカにされていたが、これで立派なサポートカーになったかな?
立派な溶接機、右が鉄用。左がアルミ用(だったかな?)
40年前、某メーカーに就職したとき、研修で溶接は鉄からアルミまで、かなりやらされたし、危険物の免許も持っている(玉掛けクレーンやレーダー技師も(^-^;)
が、はるかむかしのハナシで何も覚えていない。
まずじ~じがお手本
塗装する面をサンダーで磨き、アースして
やってみたけどなかなかうまくいかない。
つぎはアルミ
まずはじ~じがお手本を示す
私もやってみたけど長く熱すると穴が開くし、短いとくっつかない。
でもなんか楽しくて、夢中になって練習していたら、後ろから風が吹いてきた。
「あれ?扇風機回してくれたのかな?」
なんて思って振り向いたら、上空をドローンが飛んでいた
ドローンのプロパイロットの資格を取ったじ~じ。
なにを撮るつもりか知らないが、都会と違ってガレージも広いし、外も広い野原がたくさんあって、練習場所には事欠かないのがうらやましい。
あいかわらず「お宝満載」のガレージ
これがあたらしい相棒
スペイン(だったかな?)のベータの200ccセミトライアル車
4stでスズキDR200のエンジンとか。
増田まみさんの仲間のプロトライアル選手に、これで月に1回、個人レッスンを受けているそう。
これで100kgくらい。
じゅうぶん軽いけどさらに軽い2st250ccを、オーダー中らしい。
来年2022年は早々に延期が発表された、アフリカレース。
再来年2023年に向けて、ほぼ完成した新型ジムニー
(そのときじ~じは83歳?!)
「盟友」尾上さんの思いを載せて
「同じ血液型ならなにかあっても安心だね」
って言ったら、
「オレの血はもう薄いから、役に立たないかも」
って(*_*)
こんな写真も見せられた。
フジ000kmレースのときのもので、以前も見せられたので覚えている。
ドライバーはじ~じ。マシンはホンダ1300クーペ
この会社にいたとき「ホンダ史上最悪のクルマ」と言われたのを覚えている。
本田宗一郎が空冷にこだわったエンジンは、街乗りには向かなかったらしいが、ラジエータなど「余計な部品」が無いぶん、軽かったのに目を付けたじ~じ
当時からメーカーのワークス相手に、プライベーターで戦っていた。
高出力のワークスに勝つには、「とにかく軽いこと」が一番なのは、パリダカのレンジャーにも引き継がれている。
この1300は1300cc以下クラス優勝。
ワークスのスカイラインやポルシェに交じって、総合7位と大健闘した。
日産ワークスの星野一義が駆るサニーの前を走る、1300のじ~じの写真も見たことがある。
この写真はそんな当時の1300を完全復刻させたもの。
作ったのは「ケン・マツウラレーシングサービス」の代表、松浦氏。
じ~じがエスロク(S600)でレースをしたとき、エンジンチューンは「あの」ヨシムラがやっていた。
当然、ポップこと吉村翁もバリバリの現役で、この1300もエンジンはバリバリのヨシムラチューン。
そのヨシムラの社員がケンマツウラ氏で、じ~じの日本レーシングマネジメントにも籍を置いていたことがあるとか。
当時のヨシムラのことはこちらを
私などは「ヨンフォアの集合管」くらいの知識しかなかった。
アピオ尾上さんのブログにも当時のことが書かれている
1300改造の苦労話は、じ~じ自身から
マツウラさんが1300を見つけてきて、思いっ切りレストアしたのがこのマシン
じ~じとペアを組んだ「KOTAKE」とは、高武冨久美氏
こちらもヨシムラの記事に載っている
このマシンは松山にあるそうで、近くヴィンテージカーレースにも参戦予定とか。
だったらじ~じにドライビングして欲しいと願うのは、ワガママかな。
このホイールは60年前、じ~じがS600でレースをするとき日本で初めて作った、マグネシウムホイール。
当時の日本にはマグネシウムでホイールを作るノウハウが無く、イタリアのアバルトから取り寄せて作ったそう。
言われなきゃ分からないものばかり。
これはたぶん日本に一台しかない、ロシア製のリーチ
トライアンフをベースにロシアが「パクって」生産したもの。
モンゴルのバイラーさんのお父さんが乗っていたものを、バイラーさんが相続。
いつか直して乗ろうと思ったまま30年が過ぎ、
「ならオレがもらうよ」
とじ~じがモンゴルから引き揚げてきた。
バイラーさんのことはこちら
マフラーをワンオフで作ったり、コツコツとレストアしているらしいが、元気なうちに乗れるのか?
80歳にしてまだまだやりたいことだらけ。
夢いっぱいの少年のような、スーパーおじいちゃん。
まだまだ現役で活躍して欲しいと、心から願ってやみません。