くせっ毛なので髪が伸びると「サリーちゃんのパパ」状態になり、収拾がつかない。
若いころから寒くても暑くても、一年中バイクに乗っていたし、父親も田中角栄に似た風貌だったので、
「30までにハゲるだろうナ」
と思っていたが、55歳の今もとりあえず髪はある。
子供が小さいことで「気が張っている(若ぶっている?)」せいかもしれないが、不思議と白髪もないので髪を染めたことがない。
が、クルクル天然パーマだけは伸びるとどうにもならないので、いつものS君のお店で切ってもらった。
気をきかせてクルマの雑誌なんかも用意してくれる。
目の保養にはなるが本当にクルマに興味が無くなったので、何千万もするスポーツカーを見ても、
「そんな金があったら老後のためにマンションでも買えばいいのに」
なんて思ってしまう。
そのとなりは高級サロンに置かれている、「東京カレンダー」というグルメ雑誌。
今月の特集は「肉と〇〇」らしいが、親子3代東京の食肉市場で和牛をさばいている知人いわく
らしい。
東京の食肉市場は築地と同じく、どんなに高くても買い手がいるので、全国から和牛が集まっているが、それでもひところに比べれば入荷数が激減しているとか。
地方の食肉市場は一週間、和牛が入らないこともあるらしい。
なのにどこのお店も「和牛専門」とうたっていること自体、「どこの肉かわからない」そう。
東京でも和牛の価格は高騰しているので、安い焼き肉店はいろいろと、「混ぜもの」をしないとやっていけないらしいが、日本生まれの和牛の子供やDNAを海外で交配して、逆輸入しても和牛と呼んでいいとか悪いとか。
三連休初日は娘の通う小学校で、卒業式の準備の手伝いがあった。
子供たちが紙を切った桜の花びらを、校庭から見えるよう各教室に張り付ける。
娘も連れて行ったら嬉々として、窓に張り付けていた。
子供たちにやらせれば喜んでやると思うのだが、子供では高いところの作業が危ないのか、父兄同士の親交を深めさせたいのか、学校の意図がだれに聞いてもわからなかった。
それでも外から眺めると、はなびらが風に舞っているように見えるのでよかった。
そして日曜日
墓参りと母親のお見舞いを兼ねて、去年夏以来ひさびさに、長野の実家に帰省。
GSつながりのK内さん親子が、アサマ2000というスキー場に来ているので合流。
K内さん一家はスキー好きが嵩じて、上のお姉ちゃんは去年、北海道の大学に入学。
「なに学部?」と聞いたら「スキー部です」ってくらい、競技スキーに熱中しているとか。
次女のMちゃんも高1ながら、お父さんと東京から毎週スキー場通い。
アサマ2000は元オリンピック選手の木村公宣選手のホームらしく、Mちゃんもここで木村コーチじきじき、レッスンを受けているそう。
Mちゃんはクラス優勝する腕前で、
「私も北海道の大学に行って、お姉ちゃんと滑りたい」って。
競技の合間に娘にレッスンしてもらうと
私と一緒だと「パパといっしょにすべる~」と甘えるところだが、中級コースをMちゃんに必死でついて行く。
そして表彰式
Mちゃんと木村コーチ(おめでとう~)
表彰式を見ていた妻がボソッと
「おじさんばっかりね」って。
たしかに50歳以上の年齢層が一番厚く、最高齢は70代とか。
常設ポールのあるゲレンデは、サンデー毎日の高齢者たちがいつも練習しているらしい。
東京からスキー場まで毎週通うのは大変だが、毎年スキー道具を買い換えたとしても、バイクレースほどカネはかからないので、これはこれでいいのかもしれない。
まだまだ5月のシーズンオフまで、K内親子のスキー場通いは続くんだろうナ
そして4時過ぎに実家に向かう。
K内さん親子は翌日もSAJのスキーレッスンに参加するそうで、K内さんの愛車「ムルティプラ」が高速で我々のクルマをぶち抜いて、ものすごいスピードで戸隠スキー場へ去って行った。
6人乗りだが四駆ではないし、20年落ちのポンコ〇(失礼)で1△●kmオーバーは、いくらなんでも出し過ぎ。
くれぐれも気を付けて。
そして6時前に実家に到着し、いつもの市営温泉「湯っくらんど」へ。
小学生になった娘は妻から「男湯禁止令」が出ているので、露天風呂にひとり入ってもほんとうにつまらない。
さっさと出てホールで休んでいると、「らーめんたべたい~!!」と叫びながら、娘が出て来た。
大広間でラーメンをペロッとたいらげる。
どこへ行ってもラーメンが食べられたら、しあわせらしい。
安上がりだが妻はもっといろんなものを食べて欲しいようだ。
朝5時に東京の自宅を出て、一日スキーを滑って、すっかり疲れて9時には全員爆睡。
翌朝はちょっと寝坊。
8時に起きて9時に墓参りに出かけた
山のふもとにある市営霊園で、まわりは杉だらけ。
今年7歳にして花粉症デビューした娘、
なのでちょっと心配だったが、とりあえず大丈夫らしくひと安心。
フキノトウも花が咲いていて、もうすっかり春。
せっかく履き替えてきたスタッドレスタイヤだが、昨日はスキー場の駐車場くらいしか雪が無かった。
そのまま母親が入所している施設に向かう。
脳梗塞で入院してもうじき4年。
あいかわらず寝たきりでしゃべれないが、娘を見てちょっとだけ笑ってくれたのが、せめてもの救い。
「毎日、孫を見せてやったら奇跡が起きたかも」
いつも思うことだが、近くにいてやれないことが申し訳なくて泣きたくなる。
ちょっと目を離したら、老人たちと遊んでいた。
みんな飛び入りの天使に大喜び。
老人ホームに保育園を併設したら、みんな幸せになれるのにと思う。
施設を出て向かった先は近所の「塩谷醸造」
帰省するたびに地元のスーパーで、ここの味噌を買って帰る妻が、行ってみたかった本店。
私が育った須坂は「蔵の町」と呼ばれるほど、土蔵が多い。
むかし生糸産業が盛んだったので、土蔵で蚕(カイコ)を飼っていた名残りらしい。
この塩谷醸造も100年以上前の店構えを、残しているのがいい。
むかしはせっかく帰省するのだから、帰りの高速が渋滞しても夜まで実家にいたものだが、歳を取って渋滞の待ち時間が苦手になった。
なので高速が渋滞する前に帰るため、11時に高速に乗った。
上信越自動車道から関越に入り、埼玉で少し流れが悪くなったが、2時前に帰宅。
洗車してタイヤ交換を済ませる。
40歳を過ぎたころから、故郷に対する望郷の念が強くなり、もし再婚しなかったら長野に帰っていたかもしれない。
でも今は外灯もなく真っ暗な田舎の道を走っていると、「やっぱりここでは暮らせないなぁ」と思ってしまう。
郊外から首都高に入り、ネオンまたたくビル群を見ると、「ああ、やっと帰って来た」とホッとする自分がいる。
それでもやっぱりふるさとはいい。
4月中旬には実家の近くにある臥龍公園の、桜まつりがある。
5月連休に帰るので2度帰省するのはもったいないと、今まで娘に見せられなかったが、今年は私が見て育った臥龍公園の桜を、娘に見せてやりたい。