R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

老いてなお青春まっさかり

 
 
 
 
 
 
仕事で近くに行ったので、ひさしぶりにタチバナサンのガレージを覗いてみた
 
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速いレーサーしか興味が無いと思っていたが、意外にもセローに興味津々の様子
パワービームはトライトンにも使っているそうで、
「これはいいんだよね~」って。

「パワーボックス」を見るのは初めてとのこと。
なぜパワーアップするか私では説明できないので、
「パワーボックスで検索してください」とお願いした。
アタマのなかではレーサーに流用できないか、いろいろ考えているようだった。

ガレージに入ってすぐ目に付いたのが
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MG-Bの初期型 1962年製
広島の家に何十年も放置プレイだったボロボロを持ってきて、自分でフルレストアしたそう。
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エンジンもオーバーホール。ハイカムも入っているとか。
 
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エキパイも自作でタコ足に変更
マフラーもお手製
「マフラー換えたら15kg軽くなったよ」って。
 
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唯一残念だったのは自分が思っていた「ブリティッシュグリーン」にならなかったこと。
シロートには完璧に見えるのだが、塗った本人はまったく納得していない。
いやいやあのジャガーもすごかったが、これもすばらしいと思いますよ。

そしてこちらも初めて見た

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シーリー・コマンド850cc 1972年製(だったかな?)
今までのトライトンに比べ圧倒的なパワーと、シーリーのフレームは最高のマシン。
レースをしていた知人から入手してフルレストア。
レースでデビューウィンの予定が、思ったように走らないらしく、またバラバラにしてやっと組み上がったとか。

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クルマ並みの迫力満点のベルトと、太いエキパイに目を奪われる。

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ブリティッシュグリーンのカウルがかっこいい。
この色でMGに塗装したら、「塗装面が広がると色に深みが出なかった」とか。

不調の原因はキャブのインテークとかなんとか。
前オーナーなのかその前からなのか、変な加工をされているらしく、前オーナーもそれで「さじを投げた」らしい。

「まったく調子悪くて困っちゃうよ~」
と言っているその顔は
「やることがたくさんありすぎて、楽しくてしかたない」
と顔に書いてありますよん。

スガワラじ~じと同じ76歳。
「オレなんかに比べたら、菅原さんのほうがよっぽどすごいよ」
と謙遜するが、どちらも55歳の「若造」から見たらバケモノです。


年内はあと2戦。

じ~じと同じで
「レースは勝たないと面白くもなんともない」が信条なので、
10月のレースに向けてまだまだやることは山積み。

お邪魔しては悪いので、早々にガレージをあとにした。

そして今夜はスガワラじ~じと銀座で待ち合わせ。
「7時に{とらや}の前で」
と言われていたので6時半に地下鉄に乗ったら、目の前にじ~じが座っていた。
おたがい隣りの駅に住んでいるとはいえ、まさか同じ電車の同じ車両とは!
じ~じも驚いていた。

電車の中で見せられたのが
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消防博物館のパンフ
ひょっとしてここで講演でもしてきたのかと思ったら、
「ここは古い消防車が展示されているので、レンジャーのアシ廻りの参考に見学してきた」
そう。
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昔のトラックは板バネがスタンダードらしいが、~じに言わせれば
「板バネが一番いい」
らしい。
「シンデレラの{かぼちゃの馬車}が理想なんだよ」
とも。

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これね↑
 
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じ~じ曰く馬車のアシ廻りは「板バネ」で、客室(キャビン)は固定式でなく「フローティング式」らしい。
「浮いているので最高の乗りごこち」とか。
前後左右ともタイヤとタイヤの中間にキャビンがあるのも、「理想的」ポジション。

西部劇で出てくる馬車を見ると、
「木の車輪でダートじゃ、さぞかし乗り心地は悪いんだろうナ」
と思っていたが、実はそうではないらしく、「レンジャーの理想形」なのだ。

ふと「久しぶりにタチバナサンとジジ放談でもすれば、おたがい長年の職人技と知恵で、レンジャーにもシーリーにもいいアイデアが出るんじゃないか?」
なんて思ったり。

タイトルを「老いてなお」なんてしてしまったが、この二人を見ていると見かけはおじいさんでも、アタマもココロも青年そのもの。
60過ぎて「オレもそろそろ終活かなぁ」とか、ジジくさいことを言っている人が周りにいるが、人生をマイナス方向に考えるだけで、あっというまに老け込んでしまうのは、やらなきゃいけないことがありすぎて時間が足りないという、「若々しい」お二人を見るたびに思う。

そしてとらやで待ち合わせたお客さんと向かった先は
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左から私、じ~じ、銀座のユキチャンとM先生。
歯の治療でお世話になっていたシーナ先生が亡くなって、もうすぐ2年。
歯の治療で困っていたじ~じは、自宅近くの歯医者さんに飛び込んだ。
すぐ
「スガワラサンですか?ダカール見てます」
と言われ驚いたらしいが、じ~じと同じ北海道出身でバイク好きなのが、このM先生だった。
いつか私に紹介したいと言っていたのが、やっと今日実現した次第。

このお店も北海道料理の高級割烹で、先代のオーナーもじ~じと旧知の仲らしい。
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北海道産の豪華なカニ
 
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厚岸(あっけし)の肉厚なカキも
 
実はM先生はエンデューロで有名な「恵庭」出身
自身も学生時代はバイクで、恵庭の林道を走り回っていたとか。
51歳なのでパリダカ全盛期も、毎晩テレビにかじりついて見ていたそうで、じ~じのことも当然知っていた。
 
パリダカ全盛期の1980年代はバブルも全盛期
毎晩ギンザや六本木で「夜の東京砂漠」を徘徊していた私は、一度もテレビ中継を見たことが無い。
というかパリダカというレースがあることも知らなかった。
 
8年前に娘が生まれてからは、すべての「夜のクラブ活動」を卒業。
悪友たちから
「銀座のお店にかわいい子が入った」とか
「六本木にかわいい子がいる」と誘われても、
「ウチの娘のほうが100倍かわいいから行かない」
と断り続けたら、今では忘年会も新年会も誰からも誘われなくなった。
 
なので銀座で飲むのも本当にひさしぶり。
昔なら目をつむってでも銀座の街を歩けたのに、新橋駅から「とらや」までわずか数百メートルですら、道に迷うありさまだった。
 
そしてユキチャンが働くお店へ
ホステスさんと食事してからお店に入ることを、「同伴」と言うのだが、
これをじ~じは「連れ込み」と勘違いしていて、
「今日は連れ込みしてからお店に行くんだよ」と言うものだから、
「食事もしないでいきなり連れ込み? このホラ吹きじじい」
と思っていた。
 
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シーナ先生御用達だったお店で、シーナ先生とマボダチのジュンちゃんと。
どこへ行っても「自然体」のじ~じは、自分の孫ほどの女の子とも普段と変わらず話している。
 
私もじ~じもふだんは9時に寝ている。
11時になったのでそろそろ眠くなってきたので、帰ることに。
と、M先生がどうしてももう1軒、連れて行きたいところがあるというので
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首都高と新幹線を一望できるバー(おっ、柱のソレは「V」じゃないか)
 
 
「ここは東京で一番最初にできた高速なんだよ」
いつのまに1人で呑みに来ていた女の子に、首都高のウンチクを話している。
さっきまで「ねむいよ~」って言ってたのに.......
 
結局、お店を出たのは1時前
 
「ここのパンおいしいから、娘さんにおみやげネ」って
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さすが銀座は夜中でもパン屋が開いている。
それにしても似合わない光景だなぁ
 
帰宅して
 
 
たまにはギンザもいいなぁと思ったが、どんなキレイなおねーちゃんも、娘の寝顔に勝るものは無い。
 
メロンパン、ちゃんと娘とたべました。
 
じ~じ、M先生ごちそうさまでした。
また「メンツが足りないことがあったら」誘ってください。