先週の金曜日、じ~じから電話が
「今日のトウチュウ買うように」って
トウチュウとは東京中日スポーツ新聞
近所のコンビニで購入
ちょうど若島津(二所ノ関親方)がサウナの帰りに倒れて入院した記事が。
むかし高田みずえと婚約したときは驚いたが、現役時代はたしかに男前だった。
そしてちょうど見開きのページに
「ヒノさんから100歳までやってって言われちゃったよ~」
と笑っていたが、このスーパーおじいちゃんなら100歳でも、まだ現役で走っていそう。
先日105歳で亡くなった聖路加病院の日野原院長も、死ぬ間際まで現役で活躍したが、病院関係の知人に言わせると
「日野原さんのおかげで出世できない人がたくさんいた」とか。
うえに100歳の院長がいたおかげで、年功序列で院長になるはずの人が、何十人もこの病院を去って行ったという。
本音を言えば数年前、じ~じが初のリタイアを喫したとき、そのまま引退してチーム監督になって欲しかったが、いくつになっても闘争心を失わないこの人は、きっと死ぬまで現役なんだろう。
今回はペルーにリマをスタートし、南下していくルート
なので序盤にいきなりハードなアタカマ砂漠越えがあるのかな。
今年はモンゴルラリーでレンジャーのテストもやったし、サポート体制も充実して準備万端。
前回に続きカミオンクラスのトップ10入りと、排気量10リットル未満クラスでの9連覇も狙ってほしい(もちろん父子のワンツーフィニッシュも)
そしてじ~じの「パリダカ35回連続参戦」もかかっているとか。
毎年この時期はメカのスーさんたちスタッフが、船積み前の突貫作業中。
「目の下にクマ作って」ゲッソリやつれている。
邪魔しちゃ悪いと思い事務所に顔を出していないが、おみやげもって寄ってみよう。
そしてクリーニングから引き取ってきたのは
風魔の風間さんとモンベルがコラボしたモデルだったか忘れたが、たしか風魔プラスワンで購入したような。
しばらく着ていなかったが先日のDOAが雨の予報だったので、ひさびさに引っ張り出した。
案の定ドロだらけ。
以前は自宅で洗っていたがたまには防水加工もしてやろうと、クリーニングに出していた。
オフ用だからといってボロボロのウェアは着たくないので、汚れたり傷むと買い換えていたが、毎年DOAで大和モーターの社長さんが着ている「GWスポーツ」のジャケットパンツを見て、
「もっと大事に着てやろう」
と思った。
私がオフに目覚める前に、なぜか参加してしまった「第1回ロシアンラリー」
このときゴールドウィンも協賛していたようで、現地でGW社員の方と親しくなった。
「林道天国 長野」で18歳まで暮らしたのに、バイクで林道は一度も走ったことが無かった私が、突然ウラジオストックから4日間、シベリアの悪路を走ることになったので、そのカルチャーショックはひどいものだった。
「もう二度とオフロードなんてやるものか!」
と固い決意のもと帰国。
その後数年はロードオンリーで過ごしたある日、R100RSで帰宅途中、右折するハイエースの横っ腹に突っ込んで全損。
名前を調べようと向かった環八のリンドバーグで、偶然パリダカ写真集を手に取ったのが、私のオフの始まりだった。
当時働いていた不動産屋に、家を探しにやってきたOさんはGWの社員で、偶然にも私と同い年。そしてロシアンラリーで知り合ったYさんとも同僚だった。
Oさんを通じてGWスポーツのジャージ、ジャケット&パンツ(当時はブーツもあったかな)など一式を購入してもらったが、そのジャケットパンツとジャージが、まさにサトウ社長さんが着ているものと同じだった。
色も同じブルー、昔の自分を見るよう
このチーム大和の面々のウエアは、いまだに「ファクトリーベア」だったりするが、
(画像、勝手にお借りしてすみません)
10年以上前、チーム大和主催のいわきツーリングに参加したとき、地元の人から
「東京はいいよね、ウェアとかパーツとかすぐ買えて。こっちはショップが無いからラフローの通販しかないんだよね」
と言われた。
今はアマゾンでも海外通販でも簡単に手に入るが、田舎の人ほどモノを大事にする傾向は強いようで、社長さんのジャケットも20年たち、ゴアテックスはすっかり剥げ落ちて、「コアテックス」になっていても、XRと同じくカラダになじんだウェアは、手放せないんだろうナ。
GWのラインナップを見ても今はロードモデルだけになったらしい。
今ではGS乗りの「制服」と化した、20万もするラリースーツなんて、このころはまだ誰も着ていなかった。
でもこのころのオフローダーはみんな、パリダカライダーと自分を重ねていたんだろうなァ