片付けしていたらなつかしいものが出てきた
2007年ファラオラリーのとき、バイク仲間のキングにサポートメカをお願いしたとき、ヤマハラさんが作ったステッカー
これがキング、もちろん日本人
「キング」のあだ名の由来は、聞いたけど忘れちゃった。
むかしのTBI(ツールドブルーアイランド)で、競技区間のSSより移動区間のリエゾンが速くて、「リエゾン番長」ならぬ「キング」と呼ばれたとか違うとか.....
このときはドゥカティだったかカジバのメカをやっていたような、違うような。
私とヤマハラさん、だれかもう一人のマシンの整備を、手際よくやってもらった。
バイクに乗せたら私の100倍は速いキングだけど、
「お金がないからメカでいいので、ラリーの雰囲気を味わいたい」
とサポートを引き受けてくれた、心やさしいナイスガイ
スタートはいつものギザのピラミッド前。
じつは前日パルクフェルメにバイクを預けるとき、キルスイッチを切り忘れ、バッテリーがあがってしまった。
キックが苦手な私。
何十回やってもかからず、
「あー、オレのラリーは終わった.....」
ってマジに落ち込んだ。
バイク乗りの風上にもおけないが、アシがながくて届かないので、ヘルメットに乗ってキックしている
みかねたマツモトさんが近くにいた背の高い外人ライダーに、「ちょっとエンジンかけてやってくれ」と頼んでくれた。
わたしとマツモトさんが170cmで、左右の彼らは2mくらい。
私の525EXCに彼がまたがると、両足べったりでほとんど「ローライダー」状態。
数回キックしただけでエンジンがかかり、まさに地獄に仏、彼らが天使に見えた。
ドイツ人だったかオーストリア人だったか、BMWやKTMはこんな彼らを基準に作っている。
チビッコ日本人向けの「プレミアムナントカ」という、短足仕様が出るのはもっと後のこと。
この日の夜無事ゴールして、かれらにお礼のビールを差し入れた。
こんな砂丘を毎日数百キロ、延々と走り続ける夢のような時間。
と、ちょっと気を緩めると、こんなコマ図にないギャップが。
時速数十キロしか出せない私は、「心臓が口から飛び出すくらい」で済むが、時速100キロ以上で突っ込むと
マシンはヘリで。
ライダーは背骨を折ってドクターヘリで運ばれる羽目に,,,,,
ここにも砂丘で飛び損ねて、あわててバイクを「投げて」助かった人が
ヤマハラさんだった。
バイクの倒れ具合で、ほぼ垂直の斜度がお分かりいただけるだろうか。
立っているのもやっとなフカフカの砂。
タイヤが下向きなら簡単に起こせるが、写真のように逆さだとなかなか起こせないので、手伝いに砂丘を登る
停めてある自分のバイクへ戻るとき、ヘルメットの中で聞こえるのは、風の音とハアハアゼイゼイ、自分の荒い息遣いだけ。
方向オンチの私はミスコースばかりしていた。
ナビゲーションのうまいヤマハラさんのあとを、「コバンザメ」のようにつかず離れず走って、なんとか完走できた。
ごくありふれた砂丘の一コマ。
朝方は砂が締まっているが、日が昇ると温められて、サラサラフカフカになる。
私が2004年、2005年に参戦したマシンを彼に譲ったが、KTMワークスメカから
「こんなツーリングバイクでラリーに来ちゃいけない」
と言われたシロモノ。
ふわふわの座布団シートで乗り心地はいいが、重いのですぐ埋まってしまう。
こちらは高さ100mくらいある、岩盤の混じった砂丘。
コマ図には「!!!」のトリプルコーションと、落ちたら死ぬの「☠(ドクロ)マーク」が書かれていた。
走り出してすぐ、垂直どころか内側にえぐれている「オーバーハング」の路面を見て、バイクを投げて飛び降りた。
私の先にいるのはずっと一緒に走っていた、イタリア人ライダーのニコ。
エキスパートライダーの彼でさえ、ルートを見極めながら慎重に下っていた。
こんな激坂でもおかまいにしに、激走するカミオン
バイクと違ってノーズの長い4輪は前が見えない。
砂丘の登りは「空を見ながら登り」、
下りは「まっさかさまに落ちていく」感じらしい。
こちらの女性はサポートで同行してくれた鍼灸師さん。
毎日こうしてマッサージと鍼灸をやってもらったおかげで、なんとか走れたが、毎日何百キロもダートを走り続けると、全身筋肉痛を通り越して、「全身打撲」状態になる。
このあとパリダカ参戦のため690RALLYに乗るマツモトさんは、毎週土日にMXコースに行って、20Lのジェリ缶1本使い切るのをノルマに、朝から晩まで走り込んでいた。
ビッグタンクマガジンのハルキ編集長と、仲間のムラタさんもISDE完走のツワモノなので、ヘタレの私と違い毎日自分でマシンを整備し、マッサージも受けず余裕で完走していた。
残念ながらこの翌年のパリダカはテロ予告で中止に。
FIM規格のラリーは450ccまでの制限がついてしまったので、690は走れる場所がないが、とにかく「グイグイ前に進むバイク」の印象しかない。
たとえるなら「RZ500」や「ガンマ500」のような、モンスターマシンだった(ナンバー取って公道走ったら楽しいだろうナ)
つらくも楽しかったラリーもとうとうゴール。
3回目にしてやっと完走(ありがとうヤマハラさん💛)
ヤマハラさんが主宰するDOA(ドアオブアドベンチャー)のエグいコマ図も、このラリーでさんざんミスコースさせられた、仕返しと思えば合点がいく。
私と握手する右側の男性は、このラリーのオーガナイザー ジャッキーイクス。
ポルシェでルマン24時間を優勝し、「ルマンの帝王」と呼ばれていて、むかしポルシェ乗りだった私からすれば、「神」のような存在。
10年以上が経った今も、あらゆるシーンがまぶたに焼き付いている。
たくさんのカネをつぎ込んだけど、ただの観光旅行では絶対あじわえない、強烈な世界は私にとって「ココロの財産」
ほんとうに行ってよかった。
レースが終わっておそろいの、「king s Rally Service」Tシャツを着て、みんなで観光、
って何度も来ているので見るところもないが。
かんじんのキングは初エジプトなので、いろいろ観光に行ったみたい。
いつものホテルのあやしいおみやげもの屋で。
かぶりもの好きなおじいちゃん。
ほんとにダライ・ラマそっくり(^-^;
ヤマハラさんにキングの消息を聞いたら
「タービュランス イシイさん情報では、結婚したらしいですよ」
とのこと。
仕事もメカニックはやめて、バスかクルマの運転手さんをやっているとか?
メカの腕があるのにもったいないとは思うが、それも彼の人生。
きっと幸せに暮らしているんだろう。
また会いたいなぁ。