R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

再びの聖地へ

日曜はS師匠と1年ぶりのいわきへ。
 
本当は6月頃行こうと話していたが、お互いの親の具合が悪くなり、なんとなく様子見していた。
それでも本格的な夏になる前に、日帰りでいいから行こうと、急きょ決定。
 
去年いろいろ案内してくれた、いわきの友人O友さんは、今回は所用で会えないのが残念だったが、次回は事前にちゃんと連絡します(さすがに今日の明日はないだろって)。
 
予報では雨も降りそうなので、今回はバイクでなくS師匠のジープ・ラングラーで向かうことに。
 
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そういえば数年前いわきツーリングに行ったときも、夜の宴会だけ参加することになり、当時S師匠が乗っていたハマーで二人、いわきに行ったのを思い出す。
 
アメ車や四輪駆動車好きなS師匠に、V350からセレナやステップワゴンに買い換えを考えていることを話すと、「やめとけ」とひと言。
 
師匠いわく「柱(はしら)のないクルマはあぶない」
 
しっかりしたピラー(柱)やフレームのない、構造的にペラペラの国産ミニバンは、大事故の際には原形をとどめないくらい、ぺしゃんこになってしまう。
 
室内の快適性や燃費、低価格ばかり売り物にしているが、ファミリーカーと言うわりに大事な家族を守るだけの、耐久性や安全性をうたうCMがない。
 
その点、頑丈なアメ車やドイツ車なら、同じ事故でも国産よりダメージは少ないだろうことが、S師匠がクルマを選ぶ理由のひとつらしい。
 
私も子供が産まれてなによりも、大事な家族を守るのにもう少し考えようと思った。
 
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大和モーター商会の佐藤社長、白髪増えた??
 
それでも去年伺ったときより元気そうで、ちょっと安心した。
 
原発の近くに住んでいた人たちがいわきにも疎開して、クルマやバイクの買い換え、修理などで、それなりに忙しいとのこと。
原発近くの国道沿いは、原発で働く人相手のコンビニや食堂が増えたらしい。
お店の前の国道も県外ナンバーがたくさん走っている
それでも売り上げは落ちているが、修理工場は農業や漁業のような補償の対象にはならないとか。
 
「悩んでいてもどうにもならないから、とりあえずがんばるしかないっしょ」
 
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去年来たときは無かったもの、
線量計
 
原発の近くから来たクルマなどは、やはり数値も高いようで、修理をするにも気を使うそうだ。
 
 
社長さんに別れを告げて向かった先は、去年O友さんに案内してもらった、津波で壊滅した町。
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去年来たときはこの道は「崩落していて」、通行止めだった。
今も堤防はいたるところで決壊していて、黒い「土嚢(どのう)」が積まれている。
原形をとどめている家もあるが、誰も住んでいない。
 
右側の町は建物の基礎だけが残り、広大な空き地になっていて、初めて来たらここに町があったとは、誰も思えないだろう。
 
佐藤社長曰く「1年経った今もまだ家を建てていいか、法律が決まっていない」ためらしいが、もう一度津波が来るかもしれないことを思えば、住みたくても住めないだろう。
 
この日で震災からちょうど500日らしい。
東京は反原発デモなんかがニュースになっていて、震災があったこと自体、世間から忘れられている。
 
現地に行ってみると何も変わっていない。というよりむしろ悪化しているような.......。
 
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浜屋灯台下のひばり歌碑は無事だった。
 
向かいのおみやげ物屋に入ると、3.11当日の写真がたくさん展示してあり、海抜10mくらいにあるこの歌碑が、水浸しになっている写真もあった。
 
せっかくなので地元産の「エイヒレ」を購入。
 
S師匠も私も子供のころは、チクロや化学調味料で育った世代。
クルマのブレーキは石綿アスベスト)だったし、今は禁止されている有害物質が町にあふれていたが、それでも元気に生きて来れた。
 
もちろん放射能は怖いが、この1年で被曝して亡くなった人が何人いるのか。
マスコミの報道で神経質になりすぎているのかもしれない。
 
だってここで暮らしている人が、何十万人もいるのだから。
 
 
 
往復400キロちょっと、1年ぶりのオトコ二人旅。
むかし話から最近のことまでいろいろ話せて、あっという間の一日だった。
 
次はいつ行けるか分からないし、行ってどうなるものでもないけれど、また行きましょう。