R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

ひいおばあちゃんばいばい~

土日は年末に亡くなったひいおばあちゃんの、通夜と告別式だった。
(年末年始は斎場が予約でいっぱい、今日までお寺で亡骸を保管してもらっていた)
 
菩提寺秋葉原のど真ん中にある、「神田寺」。
 
妻の実家はもともと日本橋にあったのが、大昔立ち退きで自由が丘に「みやこ落ち」したとか
(自由が丘もじゅうぶん都会だと思うのだが、当時はかなり田舎だったらしい)
 
高齢のお客さんにも千代田、中央、港区など都心から、世田谷あたりに引っ越した人は、
「昔は郵便番号が100番だったのに、ここは150番なんてずいぶん田舎に来てしまったワ」と、嘆く人も多い。
 
義父もその一人で、いまだに本籍地は「中央区日本橋○○」のままで、
気性もせっかちなチャキチャキの江戸っ子。
 
妻の姉が結婚して本籍地を横浜に変えたときは、「なんてもったいないことするんだ!」と、
本気で怒られたそうだ。
 
田舎から出てきた私などそんなこと気にもしなかったが、本籍地を皇居や東京タワーにしている人も意外に多いのは、都会に憧れる日本人のDNAなのか。
 
義母の実家も自由が丘だが、こちらは駅前で商売をしていたので駅まで徒歩10秒。
女学校時代は「発車のベルが鳴っても走れば間に合った」って。
 
なので駅から5分の義父の家へお嫁に行くときも、「ちょっと駅から遠いのよね」って......。
 
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98歳で亡くなったのに、この写真はいくつ?
 
50年前ころのものらしく、ひいおばあちゃんもチャキチャキでお洒落な人だったので、
「白髪のおばあちゃんの写真なんて飾ったら、ひいおばあちゃんに怒られるワ」って。
 
一瞬ボンカレー松山容子さんを思いだしたが、年老いた写真を飾られるよりせめて、最期くらい輝いていたころの写真を飾るのも、それはそれでアリかもしれないナと思った。
 
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娘も「ひいおばあちゃんにいっぱいおはなあげるの~」って、意味もわからずに「いそいそと」棺に花を入れては、「ひいおばあちゃんバイバイ~」ってちっちゃな手を振っていた。
 
お坊さんがお経を唱えているときも、「ポクポク」って木魚の音に合わせて手を叩いたり....
 
まあ確かに分かりやすいリズムではある。
 
それでも30分、よく我慢してくれた。
 
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「あれ?霊柩車はどこ?」って思ったら、今はコレなのね。
このご時世ギンギラな霊柩車はNGなのかもしれないが、ちょっと残念。
 
親の死に目に会えないからと、霊柩車を見たら親指を隠せなんて、これじゃわからないなァ。
 
ここはアキバの裏通りなので、まわりはパソコンショップやメイドショップだらけ。
週末は大勢の人が歩いていて、ちょっとした「歩行者天国」状態、
クルマが来ても全然よけてくれなくて、大通りに出るまで難儀する(クラクション鳴らして刺されたら大変)。
 
斎場は千住の「町屋斎場」で、秋葉原から10分。
「桐ケ谷なら自宅から歩けたのにネ」なんて、バチ当たりなことを妻と話したが、桐ケ谷の何倍も大きくてキレイ。
 
到着して早々、係の人に急き立てられるように焼香して、お経読んで、あわただしく火葬。
 
10基ほどある「焼却炉」はすべて満員。
 
どんなに景気が悪くても、ここだけは大賑わいだナと、不謹慎なことを思ったりしながら、火葬が終わるのを待つ。
桐ケ谷より「火力が強い」らしいので、30分もかからず完了。
 
係の人が驚くほど、98歳にしてはしっかり骨が残っていて、骨壷にギッシリ。
 
昔、シャブ中で死んだ知人はまだ30歳だったのに、焼いてもほとんど骨が残らなかったのを、ふと思いだした。
 
 
またお寺に戻り読経。
 
骨壷を見た娘は
「ひいおばあちゃん、ちっちゃくなっちゃったね」って、無邪気なひと言が皆の涙を誘う。
 
「ひいおばあちゃんはおそらにいったんだよ」
 
「おそらからみてるかな~、ひいおばあちゃ~ん」って、天井に向かって叫ぶ娘に、一同また涙.......。
 
すぐあとに「おなかすいた~」って、今度は一同爆笑。
 
初めてのお葬式で大人しく出来るか心配だったが、子供は場を和ませる天才である。
 
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お昼ははじめての「お子様ランチ」
斎場でおにぎり1個食べてきたのにバクバク食べて、また一同を驚かせる。
 
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仕出しは生前ひいおばあちゃんが好きだった、明治座の幕の内。
元気だったころは歌舞伎やお芝居をこよなく愛して、よく足を運んだらしい。
 
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帰りは東京タワーもきれいにライトアップされていて、娘も「わ~きれい~」って。
 
いつのまにか女の子らしい言葉や仕草も身につけていて驚かされるが、大人のように見栄や世間体を気にせず、思ったままの感情表現にはときどきハッとさせられて、心を洗われるような気持ちになる。
 
いずれはやってくる私の両親との別れ。
娘にも両親にも少しでも思い出が残るよう、娘をもっと連れて行ってやらなければ。
 
夏に家族で行った沖縄の海でおぼれて亡くなった、いとこのH美さんのご主人と二人のお子さんも参列していた。
中学生の兄と小学生の妹は思ったより元気そうだったが、まだまだ甘えたい盛り。
「がんばれ」って言っちゃいけないんだろうけど、元気に生きて欲しい。
 
今年、娘と母親を続けて亡くした義父の兄も、今日は気丈にふるまっていたが、ふだんは酔って羽目を外しすぎるお酒も、この日はほとんど飲んでいないようだった。
 
 今日参列した親戚は8月のいとこの葬儀にも、みんな出席しているので、本当ならもっと重苦しい雰囲気になるところを、うちの娘が和ませてくれて助かったと、帰りがけ言われた。
 
 
帰宅してから「ごはんたべる~」って(!)
 
「あのね、さっきおべんとう、食べたでしょ」って言っても
 
「たべてない~」って(おまえはボケ老人か)
 
もちろんおなかはいっぱいなのだが、彼女にしてみれば家や保育園で食べるのが「ごはん」で、
それ以外は「おやつ」なのかもしれない。
 
それにしても二日間、よくがんばったね。
ありがとう、おつかれさま。