R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

墓参り&お見舞い

三連休の土曜は妻が仕事。
高速も大渋滞しているようなので、1泊2日で帰省するのは妻と子供がかわいそう。
なので日曜朝、私だけバイクで墓参りと母の見舞いに帰省した。
 
先週は暑いなか自転車ばかり乗っていたので、バイクには乗るのは久しぶり。
自転車のほうが暑いのでは?と思うだろうが、信号で止まるたび火鉢のような空冷エンジンの熱気で、密閉されたヘルメットは気持ちが悪くなるほど熱い。
ヘルメットのなかで般若心経でも唱えたくなるほど、真夏のバイクは修行僧のそれに似ている。
 
自転車のほうが風を切って走れば涼しいし、汗をかいてもひんやりする。
新しいシャツとタオルは持参するので、人と会う前に汗を拭いて着替えれば、意外に快適である。
(もちろん帰宅してシャワーを浴びられることが前提だが)
 
土曜夕方、折れたウィンカーをS師匠からいただいたものに交換
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右が交換したもの。
左のノーマルに比べてゴムの部分が短くなっていて、これなら折れない。
よく見ると折れやすいゴムの部分をカッターで削り、レンズ側の「受け」にも切り込みを入れるという、芸の細かさ。
 
昔からいろんなパーツをワンオフで自作していた、S師匠を思い出しなつかしかった。
 
朝5時半に起き6時に出発の予定だったが、寝ていた娘が「ぱぱどこいくの?」って、寝ぼけながら聞いてきた。
「すざかのおばあちゃんとこへいくんだよ」と答えると、
「あたちもいく~」と大泣き
なだめながら娘とイチャイチャしていたら、7時になってしまった
 
環七は空いていたがネズミ取りに気をつけながら、ゆっくり1時間かけて関越自動車道の練馬ICへ。
川越くらいから東松山くらいまで、びっしり大渋滞(やっぱり一人で来て正解だった)
 
ツーリングの集団がいたので彼らの後ろについて、クルマの列をすり抜けていく。
 
朝なのでツーリングライダーも多いが、見るからにウデと肩に無駄な力が入った、若葉マークのライダーが多い。
すり抜けもおっかなびっくり、ヨロヨロしながらなので、ぶつかるんじゃないかと後ろから見ているこちらが、ヒヤヒヤする。
 
気疲れしてしまうので、別の車線から追い抜き、また元の車線(追い越し車線寄り)に戻り、淡々とすり抜けていく。
本当は左右のクルマのナンバーが、読めるくらいのスピードが安全だろうが、目が悪くなって読めない。
なので面倒だが左右の一台一台、クルマの色と車種、メーカーを、アタマのなかで読み上げながら進む。
 
「わ」ナンバーのレンタカーや、サンデードライバーが圧倒的に多いのは、馴れない車線変更の様子を見ていてもわかる。
 
ただでさえ暑いなか大渋滞では、ドライバーもイライラしているだろうし、そんななかバイクが気持ちよさそうにすり抜けて行ったら、気分がいいわけがないので、よけないクルマにクラクションを鳴らしたり、アクセルあおって爆音轟かし、無理やりよけさせるなど言語道断。
よけないクルマは相手が気づくまで後ろにいて、できるだけ静かに驚かせない程度にすり抜け、子供が手を振れば笑って振り返すくらいの余裕をもって。
 
東松山あたりの田園地帯で、プ~ンと「田舎の香水」の匂いをかぐのも、バイクならでは。
もともと田舎者なので、肥やしの匂いをかぐと妙にホッとする。
 
脊髄パッドはしているがネックブレースは未装着。
見えづらい目で注意しながらすり抜けるのは、とても疲れる。
 
 
 
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なのでいつもの横川SAで休憩することに。バイクもたくさん。
ここまでくるとかなり涼しい
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今朝は妻が作ってくれたおにぎりをいただく。
 
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トイレに上にツバメが巣を作っていた。
子供もかなり大きくなっていて、巣立ちの日も近いのか。
 
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こんな光景を見たら、おもわずシャッターを押してしまうでしょ。
みんなでどこにいくのかな??
デレ~っと見とれていて、変なおじさんと思われても困るので、早々に身支度をして出発。
 
連休だからか軽井沢IC出口は、手前のトンネルから大渋滞。
渋滞する車列に割り込もうとするクルマが多く、注意しながら走る。
 
佐久市に入ったとたんぐっと温度が下がり、ペラペラのブルゾンでは肌寒い。
パラパラと小雨も降るので東御SAに入り、予備に持ってきたちょっと厚手のブルゾンを着込む。
 
11時すぎに実家に到着。
閉め切っていた家中の窓を開けるとそよ風が吹いてきて、なんとも気持ちがいい。
妻に無事着いて涼しいとメールを送ると、「東京は暑いよ」って。
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昔の実家は庭にブドウ棚があり、夏になると家族総出で虫除けの袋がけをする。
ブドウに袋をかけるため、脚立に乗ってずっと上を向いているのが、苦痛で仕方なかった。
ブドウができれば毎日ブドウブドウブドウ.......
「同級生をたくさん連れてこい」と父に言われ、友人らが毎日来てはブドウを食べてくれた。
 
「ブドウはもう一生分食べたのでいらない」と妻に言うと、「なんてぜいたくな」と毎年怒られる。
 
父の自慢だった庭の池とコイも、5年前に大病した際、面倒が見れないからと水を抜いて、コイは友人らにあげてしまった。
子供のころ冬になると、父と池に「雪囲い」を作った。
18で私が実家を出てから、毎年父は一人で雪囲いを作っていたが、材木でやぐらを組むのはかなりの重労働。
テレビで「北の国から」を見るたび、五郎さんが一人で黙々と作業をしているのと、父の姿がダブって見えた。
 
姉に電話するとこちらに向かっているとのこと。
父の相続手続きなどすべて任せ切りなので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 
母の具合はあいかわらず首から上がマヒしていて、話すことはできないが、「胃ろう」をしていてもかなり元気とのこと。
「お母さんが元気なうちは、この家は残しておこう」と、姉と決めているが、
将来子供に手がかからなくなったら、東京と長野の半々で暮らしたいと、密かに思っている。
(もっと山のなかとか軽井沢とか、「面白味」がないと妻は来ないだろうが)
 
姉と義兄と3人で、姉のクルマで母の見舞いに行く。
本当は3か月ごとに転院しなければならないそうだが、たまたま看護師長さんが甥っ子の同級生のお母さんで、いろいろ便宜を図ってくれているらしい。
父が入院しているとき地元の病院に見舞いに行くと、必ず誰か知り合いに会えるのも、田舎ならではのこと。
父と相部屋の3人がみんな顔見知りのおじいちゃん、なんてこともあった(田舎っていいナ)。
 
姉が言うとおり「胃ろう」をしているのに、3月に入院したときよりはるかに元気そうで、肌もつやつやしている。
義兄が「息子が来たよ」と母に伝えると、「う~う~」と声を出して必死に起き上がろうとする。
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5月に来たときは寝たきりだったのが、ここまで元気になった。
「そのうち一人で歩きだすんじゃないか?」と思うが、徘徊するようになると病院の手に負えず、転院させられるらしい。
 
携帯の動画で娘の姿を見せると、もっと大きな声で「う~う~」と言って、気のせいか笑っているようにも見えた。
 
実家に戻り姉夫婦とお茶を飲んでいたら、幼なじみの酒屋のT君が訪ねてきた。
 
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今日は日曜なのでほとんどのお店が休みだが、昨日オープンした居酒屋があるから行こうと誘われ、T君と奥さんのあっちゃんと出かけることに。
 
あっちゃんは私と小学校の同級生で、母親同士も同じ工場で働いていた。
高校生のときT君から、「好きな子がいるんだけど」と相談されたのが、同じ高校に進学していたあっちゃん。
みんなでお膳立てして付き合うことになり、25歳で結婚の話しになったとき、あっちゃんのお母さんから「娘が酒屋のせがれと結婚したいって言うんだけど」と、私の母に相談があった。
小さいときからT君を知る母は、「彼なら大丈夫だから」と太鼓判を押したらしい。
 
結婚して26年。
今年大学を出て東京で就職した息子と、横浜の大学に娘がいる。
息子には本当は帰って来て欲しかったようだが、実家の酒屋は大型量販店やコンビニに押され、息子が継ぐほどの仕事がないって。
 
神奈川にいる甥っ子も30歳。
帰ってくるならそろそろリミットだが、本人にその気はないらしい。
姉夫婦も「お前らの世話にはならない」と気丈なことを言っているが、65歳の義兄も20年後には、亡くなった父と同じ85、甥っ子も私と同じ50歳になる。
 
80歳まで病気と無縁だった父に比べれば、痛風やら腸閉そくやらいろいろ病気をしている義兄は、「おれはもってあと10年かな」なんて気弱なこともポロリ。
 
甥っ子の弟は長野の会社に就職したが、転勤で山梨にいて「将来長野に帰れるか分からない」とのこと。
実家は姉が近くにいてくれたので、10年にわたり両親の面倒を診てくれたが、甥っ子たちもいずれ結婚し、奥さんが地元の人でもない限り、帰ってくるのもむずかしくなるだろう(まだ分からないんだろうナ)。
 
居酒屋には先客がいて、こちらも幼なじみのW君とお父さん、お兄さん。
空手でインターハイに出たお兄さんは、家業の工務店を継いでいるが、弟のW君は友人と始めた会社がつぶれて、今はプ―太郎らしい。
幸い一人息子が先月結婚し奥さんと二人暮らしなので、奥さんが働き彼が実家の手伝いをすれば、田舎ならなんとか暮らせるとのこと。
 
W君のお母さんは、私が通った小学校の給食のおばさん。
6年間本当にお世話になった。
 
お兄さんには中学のとき、町の道場で空手を習った。
ブルースリー好きの友人T君が、「一緒に空手を習おう」というので始めたが、一日目でお兄さんに回し蹴りを食らったT君は、「痛いからいやだ」とやめてしまい、私も1か月でやめてしまった。
 
お兄さんにその話をしても「1か月よくもったね」って、覚えていなかった。
 
高校生のとき駅でやくざにからまれ、前蹴りでやくざの帽子を飛ばして退散させたとか、1対10でケンカした相手を全員「秒殺」したなどなど、お兄さんの武勇伝は地元では有名だが、今は3人の息子のお父さんで、全員がバレーボールの有力選手。
「空手家にしなかったんですか?」と聞くと、「カミさんがバレー選手だったから」と、強制はしなかったらしい。
 
北の国から」の1シーンのような、おだやかで楽しい夜を過ごすことができた。
 
実家に帰り布団を敷いて横になると、少し肌寒いくらいの風が吹いてくる。
暑いなか東京で寝ている妻と娘には悪いが、本棚から持ってきた「汚れた英雄」を数ページ読んだところで、記憶が無くなった。