昔は毎日リザルトが速報されて、遠く離れていても現場の雰囲気が伝わったものだが、今はつぶやきツイッターだけなので、いつのまにか終わっていた印象。
と、すがわらじ~じから電話が
私「ひょっとして、まだ九州で遊んでるんですか?」
じ「昨日の飛行機で帰ってきて、そのまま日野直行で来年の発表会やってきた」って。
数年前のツールドニッポンも、かなりタフな行程だったが、今回はそれ以上だったとか。
毎日平均500キロ、長い日は600キロを走り、「朝7時にスタートして、ゴールするのは夜中近く」とは、初参加の人も多いのに、寝不足や疲労で事故が起きなかったのが不思議でならない。
ダート率も多い日で10%未満と、ウデに覚えのある人なら、ロードバイクでもいいのでは?と思ってしまうとともに、日本から未舗装の林道が、急速に無くなっていることを感じる。
そんなハードな行程をこなした鉄人は御歳73歳、
今日はもう御殿場に行って、ガレージで作業してるって.....
この人はゆっくり休んだら、かえって体調を崩すんだろうナ
燃えないゴミの日なので、物置を片付けていたらこんなものが。
こんな風に使う
本牧の倉庫でファラオラリーの船積み中
カウルが付いたマシンは背が高すぎてトランポに積めないが、前輪を小さくすれば積める。
ホームセンターで小さいタイヤを買って、JRMのスーさんに作ってもらった。
上の写真でタイヤの横にある鉄板は、トランポの乗り降りの際、小さいタイヤではブレーキが効かないが、ブレーキディスクの代わりにブレーキパッドにはさめば、ブレーキが使える。
アクセルシャフトを差し込めば固定できるよう、溶接もされている。
もうこんなマシンを載せることもないだろうし(たぶん)、
トランポのVも来年はステーションワゴンに、入れ替える予定。
なので燃えないゴミに出そうと思ったが、もしどなたか同じ用途で使う方がいたら、差し上げます。
じ~じと初めて話したのは、99年か2000年のTBI
(98年のパリダカではチームスガワラのピットは、毎日ピリピリしていて近づけなかったし、そんな有名人とは知らなかった)
GS乗りTさんに誘われて、竹芝桟橋からフェリーに乗って、アフリカツインの自走で松山に向かった。
それまでコマ図の闇ラリーは何度かやっていたけど、ちゃんとしたラリーイベントはこのときが初めて。
ペース配分もわからずリエゾンもSSも同じスピードだったり(遅いけど)、
舗装の下りで飛ばし過ぎて、フロントタイヤのブロックが無くなり、
スペアタイヤも持っていないので、2日毎にタイヤ交換するトップグループから、
タイヤをもらったり....
景色のいいところやおいしい食べ物屋の前では、みんな休憩していたが、じ~じは「淡々と」素通り。
「この人、なんで休憩しないのかな?」
ガソリン給油で一緒になったとき、タバコを一服しているじ~じに聞くと、
「早くゴールして明日の準備ができるよう、給油と食事以外は止まらないんですよ」と、丁寧なお答えをいただいた。
そのあとも休憩ばかりしていた私がCPに着くと、すでに大勢のエントラントがSSのスタートを待つ中、じ~じは必ず先頭集団で待っていて、早くSSを抜けて行った。
ゴールも常に先に到着していて、リエゾンで追い越しても休憩ばかりしていた私は、「ウサギとカメ」のように、いつも抜かれていた。
このときは意味が分からなかったが、モンゴルやファラオに行ってみてわかった。
CPに時間どおり着けばサポートが待っていてくれて、水や食料がもらえ、マシントラブルがあればその場で直してもらえる。
早くゴールすればシャワーも浴びて食事も食べられ、翌日の準備も早く済ませられる。
なにより早く眠れるのが一番だろう。
18日間、毎日何が起きるか分からないダカールラリーで、1分でも早くゴールすることがいかに重要か、痛いほど知っているじ~じだからこその、重い一言だろう。