R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

北国漫遊記その弐

2日目の朝
イメージ 1
ホテルの食堂に飾られていた絵
サンピラーとは「太陽柱」のことで、昔、アメリカのどこかで見たことがある(グラミスの砂漠だったか)
雲のなかの結晶が太陽の光に反射して、柱のようにみえる現象(と思う)。
初めて見たときは天変地異でも起きるのかと不安になったが、
同時に「神さまが降りて来たのでは?」と、厳粛な気持ちになった。
ダイヤモンドダストもこの一種か。
ここでも見られるのかな。
イメージ 2
名寄はジャンプで有名らしい。
ホテルにも有名ジャンプ選手のサインが、たくさん飾られていた。
 
イメージ 3
朝食後、競技委員長H木さんとヤマダさんのブリーフィングが始まる。
 
コマ図の119.56km地点の表示が、「酒」ではなく「海」の間違いだと、H木さんがいつものまじめな顔で報告する。
イメージ 5
 
いくらなんでも「海」と「酒」は間違えないだろう。
これもH木さんのシャレだろうか。
 
そして昨日のSSを逆走する形で、朝一番のSSが始まる。
今日は456kmのうち153kmがダートで、走り応えがありそう。
イメージ 6
ツーリングクラスのわれわれは、最後尾からのスタート
SSは11kmと長く砂利でザクザクの林道だが、北海道らしい景色を眺めながら走るのは、気持ちがいい。
 
そして119,56kmで「酒」ではなくオホーツク海に出るはずが、霧で海は見えなかった。
海沿いに国道を走ったところで給油。
時刻は11時半、
じ~じがスタンドの若い店員に、昼食を食べるところを聞くと、国道から入ったところに道の駅があるという。
味は美味いのか聞くと、「行ったことが無いので分からない」とのこと。
 
とりあえず行ってみることに
イメージ 7
「興部(おこっぺ)」という町の道の駅で、ホタテの貝柱の塩ラーメンを食べる。
 
興部駅の跡地にこの道の駅を作ったらしいが、国道から入っているので分かりづらく、客もまばら。
当時の駅で使っていた制服や部品が展示されているが、それだけで客は来ないだろう。
スタンドの若者が来たことが無いというのも、うなづける。
国道の海沿いに作れば観光客が大勢来るのに、本当にもったいない。
 
国道から砂浜沿いのダートを走ると、汽水湖のほとりにCPがあった。
ここからサロマ湖の横を抜け、内陸へ南下する
 
イメージ 4
山のなかのCP2でスタンプをもらい、しばらく林道を走ると、今度はハイスピードの舗装された峠を上って下るルート。
セローで高速リエゾンは本当につらい
うしろから来た1200GSやKTM950ADVに、100km/h以上でバンバン抜かれるが、無理して付いて行ってもタイヤが減るだけなので、ジッとガマン(といっても平均80km/h以上だが)
 
そのあとは無料の高速道路を20kmほど走らせ、当麻のSSとゴールを目指す。
一般車も時速100km/h以上で走る北海道では、制限速度の80km/hで走ると、片側1車線では後ろに渋滞が発生する。
地元のYさん曰く
「あそこで高速使わなくても、手前に林道がいくらでもあるのに」って。
 
主催者側にも食事の手配やゴールの準備があるのだろうが、どうもビッグオフ中心のルート設定になっているような.........
 
昔のTBIは250ccの軽量車を対象にルートを作っていた。
なので私のようなアフリカツインや、BMWの空冷GSで走る変態ライダーは、いちおう「インターナショナルクラス」というカテゴリーはあったが、「イロモノクラス」、「ゲテモノクラス」と陰で言われていた。
 
コースもガレガレの林道だったり、MXコースを逆走させたりで、ビッグオフには明らかに不利。
雨の美馬のMXコースでは、下り坂でブレーキが効かず、真横になって滑り落ちたビッグオフが、数十メートル下で折り重なり、「ビッグオフの墓場」と呼ばれた。
 
主催のヤマダさんにビッグオフでも走れるコース設定を要望すると、
「大型車は想定していない」と一蹴された......
 
そして10数年が経ち、時代はビッグオフが半分以上を占める、異様な大会に。
そのぶんルートもラクになり、ビッグオフに乗ったラリー初心者でも、無理なくクリアできる設定に。
走ってみると北海道の林道は支線がいくらでもあり、その気になってつなげれば、ダート率70%以上のラリーも可能だろう。
せっかくオフ車で北海道に来たのだから、舗装路ではなくダートをもっと走らせて欲しい。
昔はTBIを経験してモンゴル、ファラオ、パリダカと、ステップアップしていったが、
こんな易しいラリー(みたいなもの)に慣れてしまっては、海外ラリーとのハードルは高くなる一方かも。
ひさびさに会ったGS乗りM上さん曰く、
「北海道4デイズは極楽ツーリングラリーですから」と言われて、そんなものかと納得した。
 
イメージ 8
そしてこの日も何事もなく無事ゴール。
快適だがなにか物足りない。
イメージ 9
じ~じに借りたワンタッチのテントを張り(これが今のダカールの主流らしいが、かさばるので20kgのバッグには入らない)
 
イメージ 10
今夜も宴会で夜は更ける
 
北海道の人に天気を聞くと
「今日は晴れるよ、でも山はたぶん降るかも」と、必ず言われる(当たらない天気予報みたいなものか)
初日、快晴だったのに山で雨に降られたので、初日のファーストレーシングはやめて、2日目3日目はモンベルの防水ジャケット&パンツで走った(これなら多少の雨でも気にせず走れる)。
 
じ~じも小樽生まれだが、どんなに雨が降ってもカッパは着なかった。
(よほど止まるのが嫌なんだろう)
 
それが3日目の今日は珍しく停車。
「そろそろ降るよ」と言われてカッパを着ると
イメージ 11
 
1キロも走らないうちに雨に降られた(さすが道産子)
雨雲の下だけ雨が降っているのは、モンゴル以来。
 
イメージ 12
今日の昼食は日高の牧場のレストラン「カントリーパパ
泥だらけのカッパを着たライダーでは、ちょっと場違いかと思ったが、
オーナーさんは「どうぞどうぞ」って。
イメージ 13
観光客らしきお客さんがほとんどで、ちょっと気がひける
 
イメージ 14
毎日ラーメンなので今日はカツカレー(これが美味かった)
 
一般道のリエゾンで埼玉の某ディーラーチームが、コマ図で右折するところをまっすぐ行ってしまった。
ちゃんと右折したじ~じ
信号待ちで「みんなまっすぐ行っちゃいましたね」と言うと
「彼らはアマチュアだからね」って。
プロの誇りを感じた。
 
参加者から毎日のように
「スガワラさん、怒ってませんでした?」と聞かれる。
「なんで?」と聞くと
リエゾンの林道や一般道で、追い抜いたので」って。
「そんなの遅いんだから怒るわけないでしょ。気にせずバンバン抜いてください」と伝えた。
あとでじ~じにその話をすると
「怒ってるよ」って.....。
本人なりにがんばって走っている横を、「思いっきり」ぶち抜かれるのは、ジジイになっても悔しいようだ。
それでもリエゾンやSSの林道で、後ろから速そうな人が来ると、まず私がハザードを点灯し(セローはハザードが付いて便利)、気がついたじ~じも左に寄ってウィンカーを点滅させて、道を譲っている。
 
それでもガレたり草が生い茂った林道では、見通しのきかない左より右を走りたがるじ~じ、
速い後続車が来ても
「本人は左に寄りたくても、バイクが言うこと聞いてくれないんだよ」って.....
 
私が左、じ~じが右を走っているので、「ブロックしている」と思われたかもしれないが、けっして悪気はないのでご勘弁を。
 
そして今日も何事もなく無事ゴール
ヤマダさんが様子を見に来たので、ビールで乾杯
 
イメージ 15
 
なんでこんなにビッグオフが増えたのか、ヤマダさんに聞いてみると
「正直こんなに増えるとは思わなかった」って。
 
今回60人以上が参加したが、ひょっとして20代はひとりもいないかもしれない。
 30年前ヤマダさんがSSER(四国スーパーエンデユーロレース)を立ち上げたとき、最高齢が38歳だった。
当時はほとんどが20代で、「38にもなってまだバイク乗ってる」と言われたとか。
そこで「オーバー38」というカテゴリーを作ったそうだが、今は「オーバー60」でもじ~じを含め数人がいる代わりに、「アンダー30」は出ただけでクラス優勝出来るかも。
 
世界的に若者のクルマ&バイク離れは著しく、バイクを買うのは中高年ばかり。
そこに目を付けたBMWが1200GSを作り、世界的な大ヒットになったが、
車両価格250万以上のバイクは、20代の若造にはとても手が出ない。
(純正ウェアやブーツも買ったら、300万以上!)
 
日本の狭い林道に、オーバー100馬力のマシンは不要だと思うのだが、
家族に相手にされなくなり、家に居場所の無くなったオジサンに、
GSのカタログやPVは麻薬のように、静かに浸透しているのだろう。
 
参加者を見ても圧倒的にオジサン(オバサン)が多い。 
昔はみんな若かったから、一人で来ても誰とでもすぐ仲良くなれたが、
今はディーラーやバイクショップつながりで来ている人が多く、その仲間で固まってしまうのか、一人ポツンとした人をよく見かけた。
 
私も歳をとって知らない人とかかわるのが面倒、
このあとバイクのイベントやレースに出る予定もないので、昔からの知り合いとしか話さなかったが.....。
 
かわいそうなオジサンが増える限り、ビッグオフブームはまだまだ続くのだろう。
SSERがそれに合わせて変わっていくのも、時代の流れなのか。
 
 
イメージ 16
3日目のビバークは、日高2デイズエンデューロが行われる、
エンデューロの聖地 「日高山荘」
 
日高と聞いて思い出すのは、スウェーデンのオールソン
昔、招待選手として友人のオラ・エリクソンと日高を走り、ぶっちぎりの優勝。
オールソンにヒダカの思い出を聞くと、「とにかく食べ物がまずかった」って。
つくだ煮海苔や納豆、焼き魚、味噌汁、ごはんなど、和食が大の苦手だった彼。
「レースが終わって札幌でマックを見つけて、飛び込んだよ」って。
 
3日間北海道を走ってみて、「スウェーデンにそっくりだなぁ」と思った。
本土にはない大自然と延々と広がる牧草地。
違うのはスウェーデンには無い「山」があること。
4年通った「スウェーデン4デイズエンデューロ」は、北海道4デイズと同じ7月に開催される、50年以上の歴史があるレースイベントだった。
 
スウェーデンだけでなく北欧やヨーロッパからも、毎年300人以上が参加する。
各地のオフロードチームが持ち回りで地元開催をし、毎日リエゾン300kmプラスSSを6回こなす、コンビニ休憩なんてしていたらタイムオーバーになる、かなりタフな内容。
 
冬のスウェーデンは道路が凍結するので、国道や県道以外は未舗装で、固く締まったグラベルロード。
なので一般道のリエゾンもほとんどがダートで、走行距離300キロのうちダート率は80%以上になる。
初めて行ったとき一般道のグラベルで、古いボルボに煽られた。
見たらおばあちゃんが運転していて驚いたが、カウンターを当てながらコーナーリングして行った。
毎日こんな道を走っていたら、WRCでチャンピオンが出るのもうなづける。
 
森のなかで見通しのきくダートは、全開競争
130km/h全開で走る530EXCの横を、950EDがぶち抜いていく......
 
日本と同じくSSに林道は使えないので、SSは牧草地やMXコースを使う。
巨人の北欧人がHP2や950EDを、モトクロッサーのように軽々と「振り回す」
のを見て、「ガイシャは190cm以上の人間を対象に作っている」と、確信した。
 
100年以上の歴史があるオフロードチームも珍しくなく、みんな自分のチームジャージを誇らしげに着ているのを見て、文化の違いを痛感した。
イメージ 19
 
オフィシャルやボランティアは高齢者が多く、ふだんはバイクに乗ったこともないおばあちゃんが、SSのスタートや計測をしている光景は、なんともほのぼの。
スタートやゴールのときおばあちゃんが、親指を立てて「がんばったな!」ってサインをくれると、無性にうれしかった。
 
ルートは村や住宅街も通るが、バイクの音が聞こえると子供たちが家から飛び出してきて、選手に手を振ってくれる。
私も子供を見たら手を振るようにしていたが、参加者でやっている人はほとんどいなかった。
ヤマダさんにこの話をしたら、「そうゆう文化は日本には根付かない」と言っていた。
クルマやバイクを売ることは世界一熱心なのに、文化として根付かなかったのは、だれの責任か。
事故されたら困るから高校生には免許は取らせない。
こんな過保護な国は他にないし、若者がバイクやクルマに興味を持たない国に、自動車王国の資格はないだろう。
 
4日目、最終日の朝は快晴。
北海道4デイズは必ず雨が降ると言われていたので、今まで参加を躊躇していたが、これだけ天気に恵まれた大会も珍しいとか。
 
4日目最終日
私とじ~じは今日はオンコースを走らず、一般道でゴールの芦別に向かうことに。
選手たちのスタートを見送る
 
イメージ 17
 
改めてみると本当にガイシャが多い。
2002年のラストモンゴルで、KTMは私とKTM埼玉のメカだったK山君と、もう一人だけだった。
XR250&400が一番多かったが、10年経った今はオレンジ色とBMWが大多数に。
XR250で砂漠を縦断するのは大変だろうが、これだけハイパワーの外車が増えた今なら、私が迷い込んだゴビの大砂丘を、ルートに使えばもっと楽しいかも。
 
イメージ 18
たまにXRを見つけても「これなんだっけ?」というくらい、今となっては絶滅危惧種かも。
 
以前、ミサイルファクトリーOさんに、なんでモンゴルばかり行って、ファラオとか行かないのか聞いてみた。
Oさん曰く
「みささん日本語の通じるラリーが安心らしいです」って.....
 
最近の大卒は海外勤務が多い商社を、避ける傾向があるらしい。
これも似たようなものか。
 
海外ラリーは日本では走れない砂漠や、果てしなく続く大平原を走り、非日常空間を満喫できる。
世界中のバイク好きが参加しているので、言葉が分からなくてもいろいろな友人ができるが、モンゴル組はそれが苦手らしい(シンジラレナイネ)。
 
とりあえず4日目、
ビールを飲みながら書いていたら、眠くなってしまったので、続きはまた後日。