R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

指先の感触

土曜は十数年ぶりに元プレスライダー、Yさんに会いに四谷へ、娘とタンデムで行ってきた。
プレスライダーとは新聞社やテレビ局などに、当時はニュース映像やスポーツ中継のビデオテープを、バイクで届ける仕事。
片岡義男の「彼のオートバイ彼女の島」の主人公が、たしかプレスライダーだった。
ほかにも駅伝やマラソンの中継で、カメラマンを乗せたバイクもプレスの仕事だったりする。

20代前半、ロードレースをやりたかった私が飛び込んだ、バイクショップの常連客だったYさん。
インターネットもDVDも無かった30年以上前、横浜球場で行われたプロ野球の試合の「ビデオテープ」を、深夜のプロ野球ニュースに間に合うよう、一番速いYさんが夜の湾岸線から首都高を毎晩かっ飛んでいた。
延長戦になったときは1分1秒を争うので、本当に命がけ。
当時Yさんの愛車XJ750はいつも、「首都高全開でメーター振り切ってた」。

Yさんらとのツーリングも本当にスリリング。
今ならあんな運転はしたくても出来ないくらい、無茶苦茶な走りだったが若気のいたりか本当に楽しかった。

事故の後遺症で足はビッコを引き、鎖骨も折れているので肩が下がっている。
そんなYさんの一番の大事故が、R246でのタクシーとの接触事故。
渋滞のなか左の歩道寄りを走っていたYさん。
突然開いたドアに突っ込んだとき、バイクとガードレールに挟まれたYさんは、ろっ骨を数本折り内臓も傷つき、左手中指がちぎれてしまった。
自分の指を拾って救急車に乗ったことまでは覚えているそうだが、気が付いたときはベッドの上で指が無かった。
聞くと「組織を再生するために指を{おなか}に入れた」とのこと。
しばらくおなかの中で指を「育てて」、つなぎ合わせる手術をした。
接合は成功したが第2関節から先が曲がらず、じゃんけんすると「FUCK YOU」になってしまう。
爪も生えず血流が悪いのか指も真っ黒のままだったが、あいかわらずバイクには乗り続けていた.....。

プレスのなかでも高給取りだったYさんだが、下北沢の風呂なしアパートに住み、稼ぎのほとんどが飲み代とバイクに消えていた。

まだ不動産屋になる前でいつも金欠だった私は、バイクショップ隣りの食堂でよくYさんに食事をごちそうになった。
Yさんも月末はふところがさびしくて、そんなときは
かつ丼のわかれとライス」
を注文、一皿のカツ煮を二人で食べた。

「いつか稼いだらオレがごちそうしますよ」と言うと
「オレはいいから後輩におごってやれよ」って。
「オレも先輩たちにそうしてもらったから、今があるんだよ」とも。

食堂のご夫婦もそんなわれわれを気づかってくれて、
「これ食べな」とチャーハンやラーメンを、タダで食べさせてくれた......。

狭い店はいつも常連でにぎわっていて、客が客のバイクを治したり、なんとも自由な雰囲気。
大学生だったりヤクザだったり、タクシー運転手などなど、いろんな業種の人が集まっては、ワイワイやっていた、
居心地がよくて毎晩夜中までいたが、このころのバイクショップはみんなこんな感じで、帰る方向が同じ人とつるんで、夜の首都高や第三京浜を走りに行ったのも、懐かしい思い出。

そんなYさんも65歳。
30過ぎてオフロードに目覚めてしまった私は、ロード系の人たちとすっかり疎遠になって、Yさんとも年賀状だけのやりとりになっていた。

今年もらった年賀状には「四谷で働いてます」と書かれていた。
四谷はよく通るし、ひょっとして定年になって別な仕事をしているのかな?と思い、ひさびさに携帯に電話してみた。
留守電になったので「ひさびさに会いたいので連絡ください」と伝言すると、しばらくして
「この電話はYではありません」
とショートメールが返って来た。
自宅の住所は分かるが携帯しか知らなかったので、Yさんに手紙を書いたら電話がかかってきて、やっと会うことができた。
定年退職後もそのまま嘱託で働いているそうだが、さすがにプレスはもう引退して、配車などの内勤をしているそう。
「もう目がついていかないんだよ」
って。
それでもバイクはハーレーの883(パパサン)と、RZV500とR1を持っているとか。
Yさんにハーレーでは物足りないのでは?と聞くと
「それがけっこう手が入っているやつを知り合いから買って、かなり走るんだよ」。
Yさんが「かなり走る」というんだから、相当速いんだろう。

30年近く前に限定解除の練習をするのに、Yさんから車検切れで乗っていないXJR750を借りて、千葉の佐川急便に勤める友人らと毎週末、駐車場にチョークで線を引いてパイロンを立てて、ゴリゴリ練習をしたのもなつかしい。
1,2速しか使わなかったので、しまいにはエンジンが壊れてしまったが、結局修理代は払わずじまい。
今度会ったとき利子をつけて返そうと思うが、Yさんのことだから「いいよ」と言われるんだろうナ。

「まさかsina君がお父さんになるとはねぇ.....」
と娘にベッタリの私を見て驚くYさん。
本当に自分でもこんなデレデレおやぢになるとは、想像もつかなかった。

また会う約束をしてYさんに別れを告げ、天気がいいので向かった先は



やっと娘を連れてくることができた。
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帰りのタンデムはあっというまに爆睡。
子供のころ父のカブのシートの前にちょこんと座って、雨や雪のなかでも流れる景色を見るのが大好きだったが、小学校高学年になるとさすがにシートの前には座れない。
初めて父の後ろに乗って出かけたとき、前が見えず退屈で居眠りをしてバイクから落ちたこともあった。
なので娘も後ろにしか座れないので、つまらないのだろう。
やっぱりカブかスクーターでも買って前に乗せてやるか、せめてヘルメット越しに会話ができるようインカムでも買おうか、ずっと悩んでいるのだが、悲しいかな住宅事情で増車したくても置き場がないし、インカムは多機能なぶん、使いこなせないのが目に見えている.....。

そして日曜日、
午前中、妻と娘はピアノとバレエ教室で不在。
なので先日tomododgeさんに教わった「レバーラップ」を買いに、川崎のヤシの木のお店へ。
10時開店かと思ったら11時からだった。
時刻は10時40分
コンビニでコーヒーを買い、店の前のベンチで待つことに。

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最近こういう時間がなによりうれしくて、予定があるときは少し早めに行って、コンビニで買ったコーヒーを飲みながら、ボーっとしていることが多い。

そして購入したのが

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レバーグリップ 400円也
スポンジにグリップの型押しがついた、もうすこし長くて地厚なものは700円だったが、あまり分厚いとハンドガードに当たりそうなので、これにしてみた。

インカムのB-COMも展示してあるのを見たが、アナログおやぢにはやっぱり使い方がよくわからなかった。

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さっそく取り付け。
そのままだと入りずらかったが、無理やり押し込むと破けそう。
洗剤をぬってやるとスムーズに入った。

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ちょっと短かったかな?
あとは走りながら調整しようと、帰宅した娘と向かった先は



予報は雨だったので「電車で行こうか?」と聞くと、「バイクがいい」って。
私に似て電車の乗り換えが面倒なのだろう(寝ていても着くし


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あいかわらず週末は激混み。
ちょっと滑ったら「おなかすいた~」って。
もう彼女のアタマのなかには「スケート=ラーメン」になっているのだろう。

リンクの真ん中はフィギュアの練習場で、「未来の浅田真央」を目指す女の子たちが、練習していた。
娘の隣りの席も練習を見守るお母さんたちが陣取っていて、我が子の滑りを熱いまなざしで見守っている。

バレエも発表会のたびに高額な衣装を借りたり、チケットを買って知り合いに配ったりと、なにかとおカネがかかるが、フィギュアの比ではないだろう。
スケートクラブに入らないとプロの指導は受けられないし、スケートとあわせてバレエなども習わなければならない。
娘のバレエの発表会はまだ「お遊戯」程度だが、フィギュアは子供でも真剣勝負の「大会」なので、目つきが違う。
休みの日に朝から娘に付き添うのは母親ばかりで、お父さんの姿は見たことが無いが、娘のことで頭がいっぱいのお母さんを見るたび、カネだけ出して家で相手にされない父親の姿がアタマに浮かんでしまう。
まあ都心のスケートクラブに娘を通わせられるのだから、パパは優雅にゴルフでも行っているんだろうナ。

ラバーグリップは冷たいレバーに指が触れないので、とりあえず指先が冷たくならない。
難点はスポンジが滑りづらいので、クラッチを離すとき指に引っかかることだが、指先がかじかむよりはマシ。
次は地厚な700円を買ってみようか(どんどん軟弱になっていくようだが....)



そして翌月曜日、宅急便が届いた

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アドベを買った埼玉のハラさんから

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先日お貸ししたオフロードバム。
次のオイル交換まででよかったのに、わざわざ送ってくれたらしい。

そして一緒に入っていたのが

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第1回GSトロフィーのムック本
数年前にフリーライドのミカミサンが作ったらしい。

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この写真はビーエム系の雑誌で見たことがあるが、まさかハラサンとマツイサンだったとは。
こんなフカフカなサンド、KTMなら楽しそうだが重たいGSでは大変だろう。

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こちらはイタリアチームか。
カフカのサンドにつかまって、思わずアクセルを戻して前転するの図、らしい。

第1回は5か国30人の選手と、主催者あわせても50人くらいだったとか。
初期のパリダカも少人数だったようで、主催者と選手が砂漠で車座になって、一緒に食事をしている写真を見ると、
「このころが一番楽しそうだなぁ」
なんて思ってしまう。

ハラさんありがとうございます。
また伺わせてください。