R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

一週間の出来事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻の帰りが遅いので私が晩ご飯を作っていたら、
「ドン!」
と大きな音が。
見るとテーブルとイスに手をかけて、バランスをとっていた娘が床に倒れている。
起こしてみると口から血を流して、大泣き。
どうやらバランスを崩して顔から落ちたらしい。

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急ぎソファに寝かして小さいアイスノンをハンカチにくるんで、口を冷やす。

床には抜けた前歯が

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妻にメールすると、近所の歯医者さんでまだ診てもらえるか聞いてみると返事が。
「すぐ連れてきて」
と電話があったので自転車の後ろにのせて、走ること1分。

「前歯が折れた」とメールしたので、妻も歯医者さんも心配していたが、折れたのは前歯のとなりの「乳歯」だった。

この歯医者さんは私が通う「まみ先生」(シーナ先生の後輩)の、歯科大の同級生。
親の代からこの地で歯科医院をやっていて、娘は近いのでここで診てもらっているが、小さい子供が転んで前歯を折る事故が、増えているらしい。

むかしと違って道路も整備され、しっかりグリップする靴も普及して、「転んだことのない子」が多くなった。
なのでつまづいたときとっさに手を付けなくて、顔面から倒れるとか。
成長するにしたがって差し歯が合わなくなるので、オトナになるまでその都度、差し歯を交換し続けなければならないらしい。

どちらに似たのか運動神経はあまり良くない娘なので、まだまだ気は抜けないなと
、自分を戒めた。
 
そしてまたポストに「季節外れのサンタさん」からプレゼントが
 

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「がんばれニッポンのクルマ」
ちょうど先週トヨタメガウェブへ行って、国産車の完成度の高さに驚いたばかり。

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メディア対抗のロードスターワンメイクレースの記事

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永遠の一台にも紹介されていた。
ユーノス生みの親」のタチバナサンが参戦すれば、御年77歳ながらぶっちぎりで、優勝したんじゃなかろうか。

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こちらは元プロドライバー、津々見さんが走った「第1回日本グランプリ」の思い出。

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1941年生まれなので、私より20歳年上の76歳か
今は自動車評論家らしいが、サンタのおじいさん、もといスガワラじ~じは、津々見氏と同じ1941年生まれながら、5月生まれなので御年77歳の、「現役」最年長プロドライバー。
「like a rolling stone」の言葉通り、「転がり続ける石は苔むさない」

毎年ダカールラリーの完走者しかもらえないTシャツを、惜しげもなくいただくが、
「こんな大事なものもらえません」と断ると、
「いいんだよ、オレどうせ来年も走るから」
って。
転んでも前に倒れて、けっして後ろには倒れない。
もう2019年ダカールラリーに向けての準備は万端。
このおじいちゃん、ほんとうに「死ぬまで」がんばるのかもしれない。


このEタイプ、20代後半のとき「一瞬だけ」持っていたことがある。
後期モデルのシリーズ3ロードスター
知り合いから借金の「かた」に預かったのだが、結局返済できず私のものに。

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V12気筒5300ccのエンジンは、調子がいいとホントに最高だけど、機嫌が悪くなるともうどうにもならないし、雨漏りもするので数か月で手放してしまったが、夜の六本木の交差点をブイブイ走るくらいしか、使い道を知らない20代の小僧では、あの良さを知るには若すぎた.....

そして1年ぶりにヤヒロサンから電話が。
今年も「さいたまクリテリウム」の季節がやってきて、招待チケットを届けてくれた。

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ヤヒロサンの仕事は「地下鉄の保守」を請け負う会社。
お父さんの代からやっていて、今はヤヒロサンが代表を務めている。

20年前、今はどうしているか知らないが、「元祖GSバカ」マツモトミチハルさんの声掛けで、空冷GS乗りが集まり、「GSバカミーティング」 略してバカミーという、林道を走ったりTBIなどのツーリングイベントに参加する集まりがあった。

当時私はRD03、650ccのアフリカツイン。
「部外者」だったがなぜかよく誘われて、当時100GS乗りだったヤヒロサンと出会った。

一緒にTBIに行ったり、モンゴルに行ったり、ファラオに行ったり。
ヤヒロサンの100GSは、今はDOA(ドアオブアドベンチャー)主宰の、Y原さんの愛機に。
モンゴルも走ってボロボロだったGSは、山原さんが乗ることでさらにボロンボロンに....
「たまに機嫌が悪くなる」というが、バイクも30年もたつとタマシイが宿って、化け猫ならぬ妖怪になっているのだろう。

ヤヒロサン、仕事はたくさんあって忙しいのに、地下鉄が走らない夜中の作業ゆえ、いくら社員を募集してもなかなか人が集まらず、高齢化も進みスタッフは減る一方。

それまではラリーだレースだと毎週休みが取れたが、人手不足で自分も現場に出る日が続き、バイクに乗る時間も無くなってしまった。

自宅ガレージの隅で眠ったままだった、ファラオに出るために買ったHPN。

「バイクに乗れないなら、せめてスポーツカーにでも乗ろうか」

と飛び込んだ外車屋さんが、ロータスを扱うモンゴルでもおなじみの、シノハラサンのお店だった。
 
スーパーセブンが欲しかったヤヒロサン、
新車は相当の価格になるので、
「バイク売らなきゃ買えないなぁ」
とぼそっと言った一言を、シノハラサンは聞き漏らさなかった。
「なに、乗ってるんですか?」
と聞かれ
「HPNっていうんです」
と答えるや
「それ、売ってください!」
とシノハラサン
ロータス使いだったシノハラサンは、実はHPNを探していたらしい。

そしてHPNも嫁ぎ、今ガレージにあるのはハーレーとロータスエリーゼだけ。
 
 
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招待選手を見てもツールドフランスを見ていない私は、日本人の新城選手くらいしかわからない。
 
スポンサーの特権で招待選手のサイン入りTシャツもいただいたが、「ウゴベルト・ウラン」ってだれ?

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こんなサインなら私にも書けそう。
 
私が知ってるウランと言えば

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ウランちゃんくらいなものだが.....
 
ツールマニアなら垂涎もののチケットだが、おととしは目の前をあっというまに駆け抜ける選手がだれかもわからず、VIPと選手しか入れないラウンジで、ずっと豪華バイキングを食べていた。

こんあツールオンチが見てももったいないので、ツールマニアのY原さんにチケットをあげたら、これでもか!ってくらい出走前の選手たちと撮った記念写真が、メッセンジャーに送られてきて、分かる人に行ってもらってよかったと、うれしくなった。
 
なので今年もチケットはY原さんに送ったが、今年は彼がひいきのペーターサガンが出ないらしい。

そして年に数回しか動かさないという、ヤヒロサンのエリーゼ(動いてるの初めて見た)
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車重は800kgくらい?
クイックなステアリングと走りは、まんまオートバイとか。

軽量なポルシェSCあたりでも、その吹け上りは2ストバイクを彷彿とさせるので、さぞ楽しいんだろうナ(乗っていいよと言われたが、もうマニュアルなんて乗れまへん)

いまだにY原さんとヤヒロサンはお互い面識がない。
2002年のモンゴルで走っているよと言っても、お互い覚えていない。
Y原さんからも
「いつもチケットもらっているので、ぜひセッティングしてください」
と言われているが、とにかく忙しいヤヒロサンなので、また来年かな。

そして土曜はアドベンチャーの12か月点検で、ひさしぶりに腹サイクルへ


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ハラサンはSSERが新しく始めた「東北3デイズ」に、お客さんらと参加してきたらしい。
 
「林道三昧で走りごたえがあって、とにかく楽しかったです」
「来年はアドベンチャーで行きましょう」
と誘われたが、広い砂漠ならともかく、狭い林道は苦手なのよ。

テントでなく学校の体育館でザコ寝の日もあって、一部のエントラントから
「まるで遺体安置所じゃねーか」
と言われたとか(まぁそれがSSERらしいと思うけど)

なにより今はヒイヒイ言いながら、自力で登ったり下ったりするMTBが楽しくて、アクセルひねるだけで簡単に走れてしまうバイクに、興味が無くなってしまった。


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そして代車で貸してもらったのが1200GS
現行モデルなのでメーターがTFT
TFTとはThin Film Transistor
薄いフィルム状のトランジスタを張り付けた、液晶パネルのこと。
デジタルなのでとても見やすい。
最近アドべからアドべに買い替えたSさんが、あえてTFTにこだわったのもうなづける。

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空気を入れるエアバルブが、リムではなくキャストスポークについていることに驚く。
 
ローシート仕様なのか、両足のかかとがべったりつくので、安心感がハンパない。
乗り出してすぐ気が付くのは、その軽さ。

260kgのアドべに対しGSは245kgと、カタログ上は15kgしか軽くないが、30Lのアドべのタンクは、乗ると自分の足が見えないのに対して、20LタンクのGSは驚くほど細く、左右にでっぱったエンジンも、自分の足も丸見えで安心感が違う。

ローシートなのでハンドルが高く感じるが、それも気にならないほど、とにかく軽くて乗りやすい。
気分は400ccの中型バイクといえば大げさかもしれないが、本当にそのくらいに感じるほど。
大きくて重いアドべなら、越谷のディーラーから都内の自宅まで、渋滞の国道より首都高を選んでしまうが、今回は渋滞のなかを40km、下道でもなんの不満もなかった。
自宅玄関前の狭い駐輪スペースも、大きなアドべは足元が見えず毎回ドキドキするが、GSは取り回しも軽いので、本当にラクチン。

そして日曜はそのGSでお山へ。
デザインはやっぱりアドべがいいが、軽快感と乗りやすさはGS。
こりゃハラサンにやられたかな



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本当は先日ここでお会いした千葉のホリウチサンから、「筑波山で走りませんか」と誘われていた。
ホリウチサンはMTBでも黒関係、じゃくなくてクロカン系

クロカンとはクロスカントリーの略で、山のコースをひたすら上ったり下ったり、とにかく長距離を走るらしい。
ほかにオフロードバイクと同じ「エンデューロ」や、激坂をひたすら下る「ダウンヒル」がある。
私が毎週走っているのは「トレイル」というらしいが、まあ「林道ツーリング(たまに難所)」みたいなものか。

2月に延期になったチャリンコ版DOA、「ラリークランキング150km(略してRC)」まであと4か月を切った
予行演習のつもりでいた「鳥海山80km」は台風で中止になってしまった。
(同日開催のDOAは台風がそれて快晴に。どうやらほんとうに「自分は雨男かも?」と思う、今日この頃)

ホリウチサンに
「千葉の山を150km走るラリークランキングってのがあって」
と話したら、二つ返事で
「おっ、楽しそうですネ~💛」
即答されて驚いた。

モンキー総裁からも
「クロカン系の人はみんなドMです」
と言われていたので、筑波山に行ってドMの人たちを、RCにリクルートしようと思った次第。

筑波山まで自宅から120km、
110kmの「サルの穴」と距離はさほど変わらないが、ベースまでバイクで来れるサルと違い、クルマに自転車を積んでいくので、帰りの渋滞が心配。
日曜夜は妻が習い事に行くので、6時までに帰る約束がある。
モンキー総裁に聞いたら、日曜のメンバーはチバサン&ジローサンの湘南おやじーずに、マサルサン、オチアイさんとエキスパート揃い。

ホリウチサンには次回誘ってくださいとお願いし、今回はいつものサルの穴を走ることに。

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ロビンもいっしょ

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そしていつもの山をヒイヒイ登り、少し下ったところで今回はあるミッションが。

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ルート開拓
 
この道(といっても最初はどこに「道」があるのかわからなかった)は、むかし林業の人たちが切り倒した材木を、そりなどを使って下したルートらしい。

何十年も使われていなかった道を、倒木をよけたり「やぶ」を刈り取ったり、長年かけてモンキーズがヒミツのルートを何本も作ってきた。
 
この道もその一つだが、いつも走らないとあっというまにくもの巣が張り巡らされ、枝も伸びジャングルになってしまう。

台風で倒れた木をのこぎりで切ったり、堆積した落ち葉を「レーキ」で掃いて、「道」を復活させた。

 

本当に初めて来たときはどこに道があるのかわからず、みなさんのあとを必死に追いかけるだけだったが、今は「どこを見ても道に見える」から不思議。

あくまで他人の土地なので、勝手に土を掘ったり生きている木を切り倒したり、マナー違反はしないよう心がけて。


みんなで復活したルートを下ってみる。
何本もせまい木のあいだを抜けたり、キャンバーでがけ下に落ちそうな難所や倒木越え、激坂下りにバームというバンクのついたコーナーもあり、けっこうスリリング。

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ルート整備が終わりレーキ2本背負って、満足そうなオチアイサン、
そしてスコップを背負うアヤシイおじさんたち

「里」まで駆け下りていつものお蕎麦屋さんで昼食を食べ、3時過ぎに解散。

帰りの高速は行楽帰りのクルマで、数十キロの大渋滞だったが、「それなりに」速いバイクのあとをすり抜けながら走り、5時半に無事帰宅。

と、今日はお友達の家のハロウィンパーティーに行ってきた、かわいい化け猫がお出迎えしてくれた。

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今回も無事、家族のもとへ帰れたことに感謝。

腹サイクルから「ブレーキパッドも交換したほうがいい」と電話が。
パッド1枚が1万円以上するので、前後で4枚交換とオイル交換で8万円とか(!)

クルマより高いと思うが、ガイシャなので仕方ないのか(社外品を使って不具合があっても困るし)

次回買い替えるなら1200かな、と思ったが、もう1250が発売されるらしい。
せまいニッポン、もうこれ以上パワーはいらないと思うのだが、ニンゲンの欲望は果てしない.....。