R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

それぞれのDakar

ダカールラリーも8日目、池町君はマシントラブルで早々にリタイアしてしまったけれど、スガワラ親子、三橋選手も順調に走っている模様。
アメリカからハマーで参加を続けるバハのヒーロー、「フラッシュ」こと、ロビー・ゴードンも快調♪
昔からパリダカやラリーにアメリカからの参加が少ないのは、「スプリントレースの国」アメリカと、「エンデュランス(耐久)レースを好む」ヨーロピアンとの、「お国柄の違い」が大きいと感じる。

 

オリンピックのマラソン金メダリストにアメリカ人がおらず、ヨーロッパで盛んなサッカーもアメリカ人に言わせれば、「90分もやって1-0よりフットボールやバスケットのように、100点入るほうが、見ていて楽しいよ」、納得。

 

バハ1000はだれが一番速く「1000マイル=1600キロ」をノンストップで走り切るかのレースだけど、ラリーは何日にも分けて「じわじわ」痛めつける持久戦なので、こらえ性のないアメリカンには敬遠されるんだろう。
そんななかロビーゴードンは、持久戦には不利なアメリカ製のハマーで参戦を続ける、「熱いハートの」アメリカン。

 

98年パリダカのとき、私たちのプレスカー(日産パトロール=サファリ)がターボの故障で、高速も70km/hしか出ず、パリからグラナダまでの高速、通称「太陽道路」の1000キロも、20時間ぐらいかかってしまった(そのあと大変なことになるのは、またの機会に)。

 

高速を「ノロノロ」走る我々を、フランス国内のSSでクラッシュし、フロントガラスを失ったゴードンが、われわれに大声で「ファイト~♪」と叫びながら、両手を突き上げてブチ抜いて行ったのを、今でも鮮明に覚えている(1月のヨーロッパはメチャクチャ寒いのに、フロントガラスなしで150km/hは、やっぱりアメリカンはクレイジーじゃ)

 

もうひと組、4輪のoverallで現在27位を走る、スウェーデンから参加の「オールソン&ペレ組」もがんばっている。
http://www.dakar.com/us/DAKAR/2010/stage-7/standings/cars/overall.html

 

スウェーデン4デイズエンデューロでいつもお世話になっているオールソンとペレだけど、
2005年に行ったとき、ペレは末期の血液ガンに冒されていて、抗がん剤で頭髪は抜け落ち、自力で歩行も困難だった。

 

イメージ 1

クリスチャンの築100年の自宅テラスで。
右から2人目がペレ。私と朝食を食べに奥さんが車いすで連れて来てくれたけど、笑っている顔も生気がなく、あまりの痛々しさにまともに目を合わせることができなかった....。
左端が奥さんのパオラ。日本人ではなく韓国系スウェーデン人。
、二人のあいだにはまだ幼い二人の息子がいて、起業した会社も順調だった矢先の発病で、ここにいる誰もが「遠くない最悪の結末」を覚悟していた。

 

その後ペレは「成功率5%以下」という骨髄移植を受け、奇跡的に成功、2年後に再会したときは昔の元気な彼に戻っていた。

 

イメージ 2

スウェーデン4デイズにて
右から二人目がペレ、別人です。ヘルメットがオールソン。左は太ったジョージ・クルーニー(?w)、右は会うたび太っているミッケw(でもジュニアのころはチャンピオンだったとか)

 

オールソンもペレも昔はスウェーデン屈指のトップライダーで、2輪でパリダカも完走している。
ペレは「一度は失くした命、もう一度パリダカに行きたい」と、オールソンをナビに09年、いすずのD-MAXで参戦し見事完走した。
フツーならせっかく助かったんだから、あえて危険なことはしないものだけど、レースの魅力に取りつかれた者には、何を言っても無駄なんだろうな
今は忙しい仕事の合間に、ガンを克服してダカールを完走した、壮絶な体験の講演活動をしているとか。

 

イメージ 3

09ダカールの記念に帽子を送ってくれた。

 

それでも懲りないオヤジたちは、また今年も参戦している。あんたら最高だよ

 

トップを狙う者、完走を目指す者いろいろだけど、参加者全員それぞれ違う思いを抱いて、ダカールを走っているんだろうな。

 

スガワラ親子も最近はテルちゃんのほうが速い??ようだけど、どっこい「団塊世代の星」、オヤジたちの夢を背負ったじーじもがんばれ~